水俣病による健康被害を訴え、涙ぐむ原告の倉田和代さん=大阪市北区で2023年9月2日午前11時15分、鈴木拓也撮影 なぜ理不尽な「線引き」をするのか――。汚染された魚を食べて水俣病と診断されたのに、水俣病被害者救済特別措置法(特措法)の救済から漏れた人たちがいる。生まれ育った地域などで区別されたためだ。そうした人々が国や熊本県、原因企業のチッソに損害賠償を求めた訴訟で、初の判決が27日に大阪地裁で言い渡される。最初の提訴から10年と裁判は長期化しており、原告側は全員救済を求めている。
拡大 声を震わせながら祈りの言葉を述べる患者・遺族代表の上野エイ子さん=19日午後2時20分、熊本県水俣市(撮影・帖地洸平) 最愛の家族を不条理に奪われた悲しみは、癒えることはない。19日、熊本県水俣市で営まれた水俣病犠牲者慰霊式は、差別や偏見に耐えながら懸命に生きてきた患者や遺族らの祈りに包まれた。水俣病が公式確認されてから63年。患者・遺族代表として車椅子で出席した上野エイ子さん(91)は声を震わせ、「祈りの言葉」を読み上げた。2歳で亡くなった胎児性患者の娘良子さんへの思い、そして「公害のない社会」実現への願いを込めて。 <お前は母ちゃんと呼べなかった つらかったろう 淋しかったろう 母は心からおわびしたい> 上野さんの言葉は、娘への謝罪で始まった。 生まれ育ったのは、水俣湾に近い同市袋の湯堂地区。夫忠市さんと一緒に漁をしていた1958年8月、悲劇は前触れもなく訪れた。忠市さんの手が急
ユージン・スミス氏の作品「網を持つ漁師たち」(写真集「水俣」より=アイリーン・アーカイブ提供)。スミス氏は1978年10月に亡くなった 1970年代に水俣病を世界に伝えた米国人写真家、ユージン・スミス氏(1918~78)が死去して40年。12月には生誕100年を迎え、生涯を描く映画「ミナマタ」(原題)の撮影もジョニー・デップさん主演で年明けから始まる。スミス氏の遺作となった写真集「水俣」について、共著者で、ともに熊本県水俣市の患者多発地区で暮らした元妻のアイリーン・美緒子・スミスさん(68)=京都市=は「彼にとって最後の勝負だった」と振り返った。 71年9月、寝台特急「なは」で水俣駅に降り立った夫妻は、10日前に婚姻したばかり。スミス氏52歳、アイリーンさん21歳。前年の秋、東京の出版社経営者に水俣病の話を聞き、1年かけて準備を進めていた。 「彼の最後の仕事だというのは、暗黙の了解で分かっ
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