拉孟・騰越は、インドと中国の連絡線を遮断するための、中国側の最前線基地であったが、ビルマ側にはミッチーナ(ミートキーナ)と言う都市があり、水上少将が指揮する守備隊が置かれていた。こちらは1944年8月に陥落している。 太平洋戦争の時の激戦地域など、腐るほどあるのだが、拉孟・騰越の戦いが有名なのは、中国軍と戦って負けた数少ない例であること、あの「変人」で有名な辻政信が、東条英樹とケンカをして飛ばされた先が第三十三軍で、辻が戦争について、詳しく書き留めてあったことからであるのだが、実際に日本軍の慰安婦が職業軍人の出版物に出てくる、最初期の例である。辻のハナシも今後、記事にして行く予定なのだが、ここではとりあえず、この北ビルマ、雲南の戦闘が、インパールと同様に、非常に有名な戦闘であることを確認して頂ければ問題ない。 拉孟も騰越もミッチーナもビルマの日本軍の慰安所制度を語る上で、欠かせない都市であ
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