1923年の関東大震災。混乱のなか流言が広がり、多くの朝鮮人が殺害された。悲劇はなぜ起きたのか。中央防災会議は2009年に国の機関として初めて事件を分析、報告書にまとめた。それによると軍や警察、新聞も一時は流言の伝達に関与していた。また裁判記録の研究が進み、自警団などが殺害に至った経緯も明らかになってきた。番組では、司法省の一次資料や民間の聞き取り調査などをもとに事件の社会的背景を探っていく。 船橋で虐殺に関与した警防団長の証言(1981年録音) 「無線の海軍所長が「浦安行徳に600人の不逞鮮人が来るから、今夜警戒頼む」と来て、銃を渡されて「二声かけて返事をしなければ撃っても良い」と。警備に当たっていますと、朝鮮人が見えますと早鐘打つですよ、当時ですから。で「鮮人は見たら殺せ」と言うんですもの。まあすごかったですよね。 それで、今の競馬場の駐車場の所で2人殺しました。若い鮮人で、針金で縛
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