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2014年5月16日のブックマーク (4件)

  • 母は「自殺してやる!」と包丁を喉に当てて叫んだ→民主党まで - はてな村定点観測所

    2014-05-16 母は「自殺してやる!」と包丁を喉に当てて叫んだ→民主党まで 私が子供の頃、福島の実家で父と母はあまり仲が良くなかった。 父と母が喧嘩をすると、よく母は包丁を取り出して自分の喉に当てて「自殺してやる!」と叫んでいた。でも当に喉に包丁を刺すことはなかった。 父はそんな母が嫌いで、機嫌が悪くなると、よくちゃぶ台で星一徹をやっていた。夕べていたテーブルをひっくり返すのだ。畳の床がご飯や味噌汁やおかずでグチャグチャになった。母は激怒して出ていって、グチャグチャになった畳は私が黙って雑巾で掃除していた。 (「巨人の星」) 子供の頃なのでよく憶えていないが、学校に勤めていた父が同じく学校に勤めていた女性と仲良くなったことがあった。母は子供の私を車に乗せて、その女性と会いに行かないか探しに行った。そこで何を見たのかは憶えていないが、母が帰りに泣きながら車を運転したのは憶えてい

    母は「自殺してやる!」と包丁を喉に当てて叫んだ→民主党まで - はてな村定点観測所
  • それを「シンポジウム」と呼んではいけない。 - いつか電池がきれるまで

    ※このエントリには、自殺についての話題と、自殺について書かれたエントリへのリンクがありますので、精神的に不安定な状態を自覚されている方は、読まないでください。 長くなりそうなので、なるべく短く、まとめて書きます。 きっかけは、このエントリでした。 参考リンク(1):自殺という選択肢はアリ?ナシ?〜週末シンポジウム第3回〜(心がよろけそうなときに読むポンコツ日記) それに対して、さまざまな反応が寄せられたのですが、そのなかでも多くの人に読まれた(であろう)ものがこちら。 参考リンク(2):「自殺」に関して〈個人〉と〈社会〉の両側面から考えたい(ぐるりみち) そして、この「参考リンク(2)」に対して、こんなエントリが書かれていました。 参考リンク(3):自殺する人は弱い(grshbの日記) 「弱い」という断定調のタイトルの影響もあってか、このエントリはだいぶ話題になったのですが、コメント欄や、

    それを「シンポジウム」と呼んではいけない。 - いつか電池がきれるまで
  • 「自分がされて嫌なことは人にしない」「されて嬉しかったことは人にしよう」の危うさ - おうつしかえ

    嫌なことも嬉しいことも人によって違うから 自分がされて嫌なことは人にしてはいけない 自分がされた嬉しかったことは人にもしよう と、よく言うけど、これは危うい。 だって、 嫌だと思う気持ち 嬉しいと思う気持ち は、人それぞれ違うから。 だから、 絶対、嬉しいに違いない、とか 絶対、嫌に違いない、というように、断定的に思うのはやめたほうがいい。 概ねの想像力を持ってやるしかないの。 ○○だから、多分あの人も喜ぶだろうな。 ○○だから、多分あの人も嫌だろうな。 と、「多分」ってくらいに思っていた方がいい。 [広告] 善意でしてあげたことがお互いの不満になっちゃう 「絶対、嬉しいに違いない」 って思っていると、それほど喜ばれなかった時には 「えーなんで喜ばないの?」 と、不満のもとになる。 人によってはそれは嬉しいどころか、嫌なことかもしれないんだよ。 だから 「多分、嬉しいよね」 くらいに思って

    「自分がされて嫌なことは人にしない」「されて嬉しかったことは人にしよう」の危うさ - おうつしかえ
  • みんな思ったよりも強くない-自殺について思うこと - おうつしかえ

    わたしは溺れかけたことがある。 わたしは泳ぎには自信があって、それが失敗の素だった。 何年経ってもその時の怖さは忘れられない。 とんでもなく怖かった要素の1つに、「わたしのせいで他の子も一緒に死ぬ」ということがある。 そうだ。わたしのせいで。わたしのせいでこの子も死ぬのだ。 それはとても恐ろしかった。 それから思ったのは「自分を過信してはいけない」ということ。文字で読めばあたりまえかもしれないけど、ほんとうに身にしみた。 理屈では、死ぬ気で手足を動かせば、わたしは泳げるわけで、なんとしてでも陸にたどり着けばいいわけ。 でも、しばらくすると思うように手足が動かなくなり、長く続くはずの息も続かなくなる。疲れが蓄積してくるのだ。 他の子を助けながら、ということや、以前よりも体力がなくなっていた、とかのマイナスの要素もあった。 [広告] 泳ぎにはかなり自信があった。 でも、溺れそうになった。 ぎり

    みんな思ったよりも強くない-自殺について思うこと - おうつしかえ