〈空爆〉というメディア 八月、『空爆論』という本を出す。 こんなタイトルの本を書こうと思ったのは、もともと9・11とその後のイラク戦争がきっかけだった。やがて、アメリカのアフガニスタンやイラクへの空爆でドローンが多用されていくなかで、空爆をメディア論の問題として論じなければならないとの思いは強まった。 もう少し遡るなら、第二次大戦末期に東京大空襲や広島・長崎への原爆投下、米空軍によってなされていった日本全土への空爆とは何だったのか。日本列島を焼け野原にした出来事を、被災した日本の側からではなく、米軍の眼差しの問題として問い返すべきなのではないか。そうすることによって、日本空爆と朝鮮戦争の空爆、さらにベトナム戦争の空爆が、まったく連続的な過程として見えてくるのではないか――。つまり、この空爆の連続性の基底に、メディア論的な連続性が貫通しているとの認識である。 二〇世紀は戦争の世紀であり、メデ
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