2024年3月19日のブックマーク (2件)

  • 『日本書紀』で後に増補されたのは天孫降臨・聖德太子・大化改新・壬申の乱:瀬間正之「日本書紀形成論に向けて」 - 聖徳太子研究の最前線

    少し前に瀬間正之さんと葛西太一さんの論文が掲載された『日書紀』の論文集を紹介しました(こちら)。その瀬間さんの新著が3月1日に刊行されました(瀬間さん、有難うございます)。 瀬間正之『上代漢字文化の受容と変容』(花鳥社、2024年) です。この3月で上智大学を定年退職するにあたり、最近の論文をまとめたものである由。構成は以下の通り(詳しい目次は、花鳥社のサイトにあります。こちら)。 初出及び関連論文 序に代えて はじめに——上代という特殊性—— 第一篇 表記と神話——東アジアの文学世界—— 第一章 高句麗・百済・新羅・倭における漢字文化受容 第二章 〈百済=倭〉漢字文化圏——音仮字表記を中心に—— 第三章 『古事記』の接続詞「尒」はどこから来たか 第四章 上代日敬語表記の諸相——「見」「賜」「奉仕」「仕奉」—— 第五章 文字言語から観た中央と地方——大宝令以前—— 第六章 漢字が変えた

    『日本書紀』で後に増補されたのは天孫降臨・聖德太子・大化改新・壬申の乱:瀬間正之「日本書紀形成論に向けて」 - 聖徳太子研究の最前線
    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/03/19
    "仏教の類書である『経律異相』に着目、パソコンの草創期のため自ら電子化したうえで『古事記』と比較し 『古事記』の説話は意外にも仏典に基づいた部分があることなどを発見" →瀬間正之「日本書紀形成論に向けて」
  • 東京大空襲から2日後、官僚御用達のレストランの食事は豪華なままでしたー戦時下の格差実感|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)

    戦時下でも人々の格差はさまざまにあったと言われますが、なかなか具体的な話は残らない物です。1945(昭和20)年3月10日の東京大空襲から2日後、2024年からみて79年前のきょう、1945年3月12日、長野県平野村(現・岡谷市)出身の童画家、武井武雄は、貴重な作品を「戦中気侭画帳」に残してくれました。 1944年9月から1945年8月まで、東京と故郷での暮らしを描いた 武井武雄も、東京大空襲を目撃しています。幸い自宅は燃えませんでしたが、建物疎開のため壊されることとなり、故郷に引き上げる目前のことでした。 東京大空襲は何ページにもわたって描かれています その武井武雄は空襲2日後に開かれた「日少国民文化協会」の理事幹事長会議に出席するため、新橋駅にある東洋軒に出向きます。余談ですが、この協会も国策協力のための組織で、愛国イロハカルタをつくるなどしています。途中で見える風景は、一面の焼け野

    東京大空襲から2日後、官僚御用達のレストランの食事は豪華なままでしたー戦時下の格差実感|信州戦争資料センター(まだ施設は無い…)
    haruhiwai18
    haruhiwai18 2024/03/19
    "なぜ東洋軒がこれだけの品を出せたか""役人が国家の施設を、決戦輸送だ何だと掛け声を挙げながら、自分たちのために利用していたのです。武井武雄は文部省管轄の協会の会議に出たからこそ…" →ブクマ。