島根県隠岐の島町久見の漁師だった故・浜田正太郎氏(1912〜76年)が、51年5月に竹島(同町)に上陸した際の口述書が、同県竹島問題研究会の調査で見つかった。当時の竹島と周辺海域は、日本を占領していた連合国総司令部(GHQ)が日本船舶の入域を禁じていた。浜田氏は韓国人漁師から話を聞くなど“空白期間”の竹島の実態について貴重な証言を残していた。 浜田氏の「竹島行」は、51年9月4日付の島根新聞(現・山陰中央新報)などで報じられたが「機関が故障を生じたため漂流し(中略)修理が出来上がったころ竹島に接近していた」と語り、韓国人と船上で会話したことは認めたが上陸は否定した。 これに対し、同県職員だった故・田村清三郎氏は著書『島根県竹島の新研究』(65年)で、漂着は渡航が禁止されていたための表向きの話だったと指摘。「竹島の調査を目的として赴いたものだった」と記していた。 口述書は研究会関係者が