テレビ『寺内貫太郎一家』(1974)などの演出を手がけ、エッセイ・小説などの文筆活動でも知られた故・久世光彦。久世がテレビや舞台などの演出業と執筆とを両輪とするようになったのは1990年前後のようで、物書きをしているとやや飽き気味だったテレビの仕事にも意欲的に取り組むことができるようなったと述懐しているのだが(『久世光彦の世界 昭和の幻景』〈柏書房〉)それ以前にも久世には作詞の仕事をしていた時期があった。 1980年ごろ、久世はテレビの演出・プロデュースを手がける一方で作詞家としても活躍。 「私は〈小谷夏〉というペンネームで、歌謡曲の詞を書いていたことがある。もちろん売れない作詞家で、少し売れたのは天地真理の「ひとりじゃないの」くらいのものである。美川憲一に書いたのは「三面記事の女」という歌で、タイトルだけは評判がよかった」(『マイラストソング 最終章』〈文藝春秋〉) マイ・ラスト・ソング