ブックマーク / designroomrune.com (2)

  • つなぐ場所(明治7年1月21日、左内橋、完成する)- 今日の馬込文学/馬込文学マラソン

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2020/01/29
    "カミュがこの小説を書いたのが、まさしくこうした既成の人間関係のワクにたいする反逆のためであり、 それはちょうど若いころの広津氏が「神経病」や「性格破産」に苦しむ青年たちを描いて" →中村光夫からの批判
  • ナチズムと日本(昭和15年6月15日、日本語訳の『我が闘争』(ヒットラー。訳:室伏高信)、出版される)- 今日の馬込文学/馬込文学マラソン

    ヒトラーの『我が闘争』の挿入写真で構成。子どもを利用して、自らの善良性をさかんにアピールしている。 これも「ナチスの手法」。彼はユダヤ系市民(子どもも含む)500万人から600万人を殺害した ※「パブリックドメインの写真(根拠→)」を使用 出典 :『我が闘争』(第一書房 昭和16年10刷) 昭和15年6月15日(1940年。 ヒトラー(51歳)の『我が闘争』の日語版が出版されました。翻訳者は当地(東京都大田区)にゆかりある室伏高信(48歳)。室伏は戦後、実際は 春山行夫(はるやま・ゆきお) (37歳)が訳し自分は名義を貸しただけと弁解しています。20万部売れたというので、名義貸しでも相当儲けがあったことでしょう。室伏は戦後になってヒトラーの行状が明らかになっても、「人間味」があって「面白い」と評価していました。“人間味”って言葉は曲者ですね。 同年(昭和15年)9月12日の「朝日新聞」に

    haruhiwai18
    haruhiwai18 2015/11/28
    "さらには 、「天才のペン」 の一節の前に 「一種邪悪なる」 が加筆されているとのこと。 これでは小林が当時から 『我が闘争』 を否定的にとらえていたように読めてしまい"" 一種の捏造" →第三者委員会を(マテヤコラ
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