-大和絵と漢画- 大和絵という用語は、使われた時期によって意味が異なるが、ここでは、平安時代に唐代絵画を和様化して得た日本的な絵画様式に由来しその伝統につながる絵画の総称、というほどに理解しておきたい。江戸時代にあっては、そうした大和絵の正統を守り伝える家として京都に宮廷画家の土佐派があったが、その存在は浮世絵師たちにとって遠く、分派の住吉派が将軍の御用絵師として江戸にあったが、その一般への影響力は微弱で、浮世絵師たちに脅威を感じさせるほどの重みをもたなかった。 大和絵に対する絵画の流れとしては、鎌倉時代から室町時代にかけて宋(そう)・元(げん)代の新しい中国絵画、とりわけ水墨画を学習し、その日本化に努めた漢画があった。大和絵が唐代絵画を消化した第一段の日本画であるとすれば、漢画は次代の中国画に影響された第二段の日本画であった。 日本の美術は、古来常に外からの強大な美術の洗礼を受けて急激に