( 前編はこちら ) 後編は安保徹氏死後、陰謀論の形成過程を追う。 ただし、文中の個人、及び団体を糾弾する意図はない。 その点を留意の上で、目を通して頂けると幸いだ。 では、順に追って行こう。 12月6日 突然のことですが、 本日12月6日、安保徹先生がご逝去されました。 安保徹オフィシャルブログ(※リンク先ブログタイトル変更済) 発端は公式ブログだ。後の講演も予定されていた急死であり、当人のたびたびの主張とは裏腹に、長生きしたとは言いがたい年齢(享年69歳)である。twitterなどのSNSでは、この時点で主に事実のみがつぶやかれている。 12月8日「過去の講演会で 「ここだけの話、皆さんだけに言っちゃうんだけっども、わだす狙われてるんですわ。研究室は何度も荒らされてるし もし、突然死ぬようなことがあっだらば殺されたんだと思ってねー!」と冗談半分(本気半分)に話し会場に笑いを振りまいてら
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