「記録より記憶に残る」のが、プロ野球選手にとって最高の名誉とされている。だが、ペナントレース終盤での個人記録に執着した選手の動きを、どう理解すればいいのだろうか。とりわけ、タイトルを巡る「記憶より記録」にこだわった争いには、純粋に野球を楽しみたいファンを無視した行動が目立つ。 綿密なチーム作り、斬新な戦法、そしてファンとマスコミを魅了するユニークなコメント――。巨人、西鉄、大洋、近鉄、ヤクルトの5球団で指揮を執り、日本ハムの球団社長を務めた三原脩は、日本球界に偉大な足跡を遺した功労者であることは、誰もが認めている。ただ1つ、今も球界に残る「悪習」を広めた張本人であることを除いて…。 それは、タイトル獲得のためには、シーズン大詰めの試合でファンお目当ての選手の欠場も辞さないという采配だ。 1956年の西鉄で、チームメートの豊田泰光、中西太が激しく首位打者を争った。最終戦を残して豊田3割2分5
![「記憶より記録」、醜いタイトル争いの愚:日経ビジネスオンライン](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/05f492a9ba706b05ca8fd61b1840b099fb59fdc9/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fbusiness.nikkeibp.co.jp%2Fimages%2Fn%2Fnbo%2F2011%2Fcommon%2Fnbologo_ogimage.png)