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ブックマーク / gitanez.seesaa.net (7)

  • お利口であるのをやめよう: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 既存の尺度で評価できるものはすでにわかっているものだ。当たり前だと評価なものは、そもそも何を当たり前だと思うかの基準かあるから、その基準に当てはまるかどうかが判断できる。 ところが、その当たり前の基準は必ず過去の先例に基づいて形成される。つまり未来において当たり前になりうるものかは判断できない。いや、大抵の場合は当たり前ではないとして弾かれる。 ここにイノベーションの芽を摘む1つの要因がある。 当たり前を疑え新しい何かを見つけたいなら、未来は現在までの基準では判断しえないことをあらためて理解したほうがよい。 いや、自分で新しい何かを見つけるつもりはなくても、新しい何かが生まれてくる芽をむやみに摘んでしまいたくないなら、自分のいまの基準で「それはだめだ」といわないようにするこ

    hdk_141
    hdk_141 2010/02/10
    未来のことを判断する基準は現在までの経験にはない/他人に対してだけではない。自分自身に対しても同じ/自分の新しい思いつきを簡単に捨てるのはもったいない/未来のプロトタイプを、過去とおなじ基準で評価しない
  • メタ認知や抽象的思考ができない人が心がけ実践すべき3つの事柄: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 自分で物事を考えて答えを出すということができない人というのがいる。「思考停止」なんて言葉もあるけど、そういう人たちにとって「停止」は動いていた状態からの変化を示す"stop"ではなく、そもそものはじめから思考がスタートしていない場合が多く、最初から思考が働いていない。 そうした人たちに共通するのは、メタ認知ができないこと、抽象的な思考を苦手とすることだとだと思います。見たまんまのことしか考えられない。だから、手法を扱えないし、戦略的な話ができない。 そうした人びとは、抽象的な記述や理論的な話題に対する想像力が著しく欠けていて、それが世界の記述であることをイメージできずに、すぐに「具体的な事例がないとわからない」という。それが自分のメタ認知や抽象的思考力の欠如からくる想像力の

  • 蓄積: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 職場が変わって早2ヶ月。当時はまだ暑かったのに、すっかり寒くなりました。 職場が変わると困ること。それは今まで蓄積した資料が使えなったりすることです。前に一度作った記憶のあることも、もう一度最初から作りなおさないといけない。一般的な事柄(例えば、人間中心設計のプロセスとか、ペルソナの説明とか)は、以前の資料を活かして書きなおすこともできますが、そういうもの以外は基的に作りなおし。これが結構手間。そういうことがあるので蓄積された資料のアーカイブの価値がわかる。まあ、作りなおす機会があることで、資料自体が前よりよくなったりもするわけですが。 これは単純に資料の蓄積だけの話じゃないんですよね。まわりの人とたがいに理解しあう度合いっていうのも、いうなれば蓄積の結果。新しい環境なら

    hdk_141
    hdk_141 2009/11/03
    江戸時代の時間感覚は四季のように循環サイクルだった
  • 自分は引き際の良さ、時機の見極めができてないなと感じる人のための3つの処方箋: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「自分は粘り強さ、継続性が足りないなと感じる人のための3つの処方箋」に続いて、こちらもご要望があったので、いい機会なので自分の考えをまとめてみようか、と。 引き際の見極めができるようになるための3つのポイントとはいえ、まずは「粘り強さ、継続性」がない人は「引き際の良さ、見極め」もできないんだと思うんですよね。つまり、タイミングが読めないんです。どこで引くか/引かずに続けるかというタイミングというものが見えない。なので、イヤになっちゃってやめるか、いつまでもグズグズ引き延ばすか、いずれかになってしまうのでしょう。 しかも、その時点で辞めやすければ辞めるし、辞めにくければ辞めないというだけ。いずれにしても、あんまり自分の意志じゃないんですね。引き際も継続性もあったもんじゃない。

  • 間違いを犯すなら自分サイズで: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「早く多く間違えよう」へのブックマークありがとうございます。 今回はちょっと補足のエントリーを。 今回もそうですが、間違える云々について書くとき、間違えられる環境であればとか、間違えてもいい場合であれば、といった限定つきで、間違えながら学ぶことへの肯定の意思を示す人がいます。 間違いの粒の大きさでも、それは僕が考えていることの意図とはちょっと違うんです。 何が違うかって、そういう人がイメージする間違いは粒がデカすぎるんです。 そんな粒の大きさで間違ったら、そりゃ、ちょっとやばい場合もあるよねって思えるような間違いの大きさを想定しているように感じます。 でも、僕が「早く多く間違えよう」という場合に想定している間違いというのは、もっと小さな単位の間違いです。いや、些細なことすぎ

  • 早く多く間違えよう: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 土曜日のデザイン思考のワークショップで、また1つ気づきがありました。 それは「早く多く間違えると、進展は早い」ということです。 今回のワークショップでも、例によって2チームに分かれて、それぞれおなじ課題をやってもらいました。 大抵の場合、そうなるのですが、どういうわけか、2チームに分けると片方の出来がよく片方がわるいという結果になるんです。なぜだかわからないんですが、大抵はそういう結果になる(これが3チームだとそうならない。なんでだろ?)。 ところが、土曜日のワークショップでは、いままで以上に2チームの差が大きかったんです。それは片方がいままでと比べて著しく出来が悪かったからではなく、片方がこの手のワークショップをやって以来、はじめてというほど、出来がよかったからなんです。

  • 自分は粘り強さ、継続性が足りないなと感じる人のための3つの処方箋:DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 粘り強さというか、継続性というか、とにかく自分がやると決めた事柄を最後までやり遂げられない人が多いような気がしています。 もっともらしくやりたいことや意欲を口に出すのはいいんですけど、結局、それが具体的な活動に落ちていかないし、たとえやり始めたことがあっても続けられません。なんでそうなってしまうのか、僕にははっきりとその理由はつかめていませんけど、とにかく具体的な活動を継続して積み重ねることでしか結局のところ何も身に付かないし結果も出ないんだということが理解できていないのでしょう。それにゆえに継続性の価値、粘り強い忍耐力をもって事にあたるということに価値を見いだせないのかもしれませんね。 途中でやめるということがカッコ悪いことだという認識がないんだと思います。 僕は自分でや

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