![Amazon.co.jp: 「とりあえず、5年」の生き方: 諸富祥彦: 本](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/d35c90bf58f7ead32cc736f6c5171c353192302e/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fm.media-amazon.com%2Fimages%2FI%2F51NNx70SRKL._SL500_.jpg)
当ブログの内容も少しずつ上のページに移していきますので、リンクの貼りかえなど、よろしくお願いいたします。 メルロ=ポンティの主著を引き合いに出すまでもなく、フッサールにおけるその端緒から、知覚の分析は現象学において中心的な役割を果たして来た。直観における明証にその最終審級を求める方法論的態度と、直観による充実化との相関において個々の作用の志向的内容を特徴づける志向性理論のアイデアは、初期の現象学において既に知覚にある特権的位置を与えていたものである。無論のこと、認識論的な哲学の体系の中で知覚に何らかの中心的な位置を与えること自体はさほど珍しいものではない。しかしながらそれ以前の哲学の伝統における知覚の扱いに対して現象学におけるそれを特徴づけるものがあるとすれば、それはフッサールやメルロ=ポンティといった人々による知覚の分析が、まさに個々の具体的な知覚という現象の様々な奥行きと多様性に寄り添
http://husserl.exblog.jp/ 電子ジャーナル『フッサール研究』の最新号が出ました。リンク先でテキストが見られます。 震災の大変な状況のなか編集の作業をしていただいた佐藤駿さん、サーバーを提供していただいている関西大学と三村尚彦さん、裏方のお仕事をしていただいた秋葉剛史さん、アドバイザーの先生方、どうもありがとうございました。 目次 特集「心理療法と現象学」 池見陽「「フォーカシング」にみるユージン・ジェンドリンの現象学」 三村尚彦「そこにあって、そこにないもの――ジェンドリンが提唱する新しい現象学――」 論文 玉置知彦「現象學と唯識論――相關關係のアプリオリと唯識三性説――」 池田裕輔「非存在的現象学のためのプロレゴーメナ――「生」と「反省」をめぐるフッサールとフィンク――」 上島洋一郎「感情の志向性と感情の表現について--ディルタイとフッサールを比較して--」 小手
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