ブックマーク / dobonkai.hatenablog.com (6)

  • 高齢ドライバーが事故を起こしているけれど車が無いと生活できない高齢者もいるということ - ネットの海の渚にて

    最近、高齢者ドライバーの暴走事故のニュースを連日目にする。 この手の事故が多発するというのは、大分前から予測されていて、なるようになったというところだろうと思う。 今後は人口のボリュームゾーンである団塊の世代が高齢者になるので、同様の事故が加速度的に増えていくのは想像に難くない。 高齢者が危険な運転をして事故を起こすと必ず出てくる対策案が、免許の自主返納の促進、もしくは年齢で区切って強制的に取り上げろということだ。 確かに免許を取り上げるのが1番手っ取り早いし、この問題に対する特効薬だろうというのはよくわかる。 よくわかるのだが、それはまさに弱者の切り捨てになってはいないだろうかとも考える。 我が家の家は市内から車で2時間かかる奥深い山中の集落にある。 林業を生業としてそれなりに栄えた村だったが、凡百有る過疎の村と同じでいわゆる限界集落という状態になっている。 家には父の兄である長兄夫

    高齢ドライバーが事故を起こしているけれど車が無いと生活できない高齢者もいるということ - ネットの海の渚にて
  • Twitterで身バレしないように気をつけていること - ネットの海の渚にて

    Twitterなどで身バレをしないように気をつけていることがいくつかある。 俺はブログを書き始めたことでその告知がしたいがためにツイッターを使うようになった。 ところがだんだんとTwitterが楽しくなってきてしまって毎日のようにつぶやいている。 どこかに遊びに行ったらその写真をアップしたり、何か美味しいものをべたらそれをつぶやいたりする。 よくあるSNSの使い方だ。 ブログを書くにあたって最初に決めたことがある。 このアカウントを絶対にリアルの自分に紐付けないこと。 これだけは固く自分に誓った。 そうしないと何かあった際にアカウントを消して逃亡、という最後の手段が効かなくなる。 それに一部の当に仲の良い友人は別として、このアカウントのことをリアルの人間関係に知れてしまってメリットはひとつもない。 人によっては実名、顔出しでSNSを運用していたりするけれど、それはそのほうがメリットがあ

    Twitterで身バレしないように気をつけていること - ネットの海の渚にて
  • 電気屋勤務時代に見た クレジットの現金化の手口 - ネットの海の渚にて

    これから書く話は相当昔の話だから、現在とはいろいろと違うところが出てくると思うけれど、このあいだ元同僚に話を聞いたら今も手口は若干変わったとは言え、同じようなことは繰り返されていると教えてもらった。 不景気と言われはじめて、もう20年以上が過ぎたわけだけれど、未だにその出口は見えてこない。 貧困層を狙った犯罪、あるいはそれに類する行いっていうのは日進月歩とはいえ、昔のケースだからとしても参考になることもあるのではないかと思ったから記事にすることにした。 俺は家電販売の仕事に10年ちょっと携わっていた。今回はその現場で実際に体験したことだ。 金に困った多重債務者が、換金率の高い商品をクレジット契約で買おうとするのは、おそらく皆さんが想像しているよりも多い。 俺が勤めていた店は従業員が10人程度の中型店だったが、週末にはそういった思惑で来店する客が最低でも4~5人は来ていた。 14~15年前の

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  • イケダハヤト氏からの疑問に答えましたよ - ネットの海の渚にて

    ブログ界の風雲児、イケダハヤトとまと大使(高知在住)さんからありがたいことにこの記事で私のブログを取り上げていただきました。 コンテンツを「パクる」のは、なぜいけないの?教えておじいさん! : まだ東京で消耗してるの? 取り上げられたのは以下の記事 パクることに対する罪の意識の希薄さが気になる話 - ネットの海の渚にて ブログ界では知らない人はいない程の有名人から言及されたわけですから、さぞかし流入があるのだろうと身構えたわけですが……。 まぁそれはさておき、この言及された記事のタイトルが素晴らしい。 コンテンツを「パクる」のは、なぜいけないの?教えておじいさん! アルプスの少女ハイジのセリフの改変なのですが記事を書いた私を暗に老害であるとdisっているわけです。 どうもこのイケハヤ氏はオッサン層に敵対心があるらしくて、いままでにもツイッター等のいざこざで相手に対して「オッサン=老害」とい

    イケダハヤト氏からの疑問に答えましたよ - ネットの海の渚にて
  • 正論を振りかざす前に考えてほしいこと - ネットの海の渚にて

    photo by mikecogh 正論ってのは往々にしてすり合わせを拒むことが多い。 「正論」だからまさに正しくて非の打ち所がない。 妥協点も無いほどに研ぎ澄まされた正論は、時として実社会において害をなすことがある。 正論なのに何故に正しくないのか?という疑問は当然だろう。 それを説明したい。 会社で行なわれる会議を想像して欲しい。 もちろんその会社における理想というものはある。会議の議題として売上をアップするにはどうしたらいいかというのは、あまりにありふれているのだけれど、その場合におけるアイデアと言うのは各部署によって様々だ。 その中には現場に苦行を強いるケースもあれば、管理側に責任をなすりつける場合もある。 そういった喧々諤々の議論の中で最終的にひねり出される案は妥協の塊だ。 これは決してネガティブなことではなく、日常的に過去から現在に至るまで日々行なわれている。 そのなかであまり

    正論を振りかざす前に考えてほしいこと - ネットの海の渚にて
  • 作品と作者は切り離して評価することはできるのかって話 - ネットの海の渚にて

    佐村河内氏の一件で思ったことを書く。 佐村河内守 4声ポリフォニー合唱曲 REQUIEM“HIROSHIMA” CD付 作者: 佐村河内守,松居弘道出版社/メーカー: 全音楽譜出版社発売日: 2013/10/12メディア: 楽譜この商品を含むブログ (1件) を見る ミィアさん (id:meerkat00)が書かれたこの記事がとても良くまとめられているので事件の概要はこちらで確認していただきたい。 耳が聴こえなくても作曲はできるし、譜面は単なる設計図ではない。 - 夜の庭から ミィアさんは聴覚障害のある状態でも音楽的理論や技術が聴覚を失う前に確立されていれば作曲は可能であると主張されている。 俺もその見立ては正しいと思う。 俺は音楽の専門的知識もないし楽譜も読めるには読めるが初見でスラスラと読めるほどではない。 まあ趣味の範囲だと思ってくれればいい。 今回俺が書きたいのは佐村河内氏の功

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