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ブックマーク / rmxtori.hatenadiary.org (3)

  • 神話と祭り、プロレスとバラエティ - くだらない踊り方

    プロレスというのは奇妙なスポーツで、周知のとおり、試合の流れや勝負はあらかじめ決まっている。所謂ガチンコとは、そのストーリーをはみ出し真剣勝負をやってしまうことで、プロレスのリングでは基的にガチンコはない。熱心なプロレスファンであれば、当然そんなことは承知していて、例えば「相手選手が予定外に失神してしまい、必死になって起こしてブック通りに試合を続けた」なんて逸話をうれしそうに話したりする。 必殺技の出し合いなんていうのはガチンコでは出来ない。もし勝負にこだわるのなら「相手の技を受けて立つ」などという哲学はナンセンス以外の何ものでもない。だがレスラーたちは相手に技をかけさせ、それを耐えてみせる。効率は悪いがド派手で見栄えのする技を(時にはわざわざコーナーポストにまで登り)繰り出す。受けるほうは、相手が必殺技を出しやすいように的確な位置に倒れ、相手が飛んでくるのを待つ。そしてお話は続く。一体

    神話と祭り、プロレスとバラエティ - くだらない踊り方
    hejihogu
    hejihogu 2008/07/30
  • 音楽の「質」の話とか - くだらない踊り方

    個人的に関心がなく、また題ともあまり関係がないと思ったので(ちょっとズルく)避けた話題だったけども、典型的な誤謬の元にもなりがちなので一度整理しておこうと思う。 音楽の「質」の話だ。 音楽の「質」について話す時は、常に混乱が付きまとう。 なぜなら、質の高い低いは受け手それぞれの評価であり、それぞれの主観の問題だからだ。 誰かにとってゴミでも誰かにとっては傑作、ということは常にありうる。 「質の高い音楽」と聞いて頭に浮かべるものは人それぞれ違う。そして、そのどれが正しいかは客観的には決められない。 一方で、志の高い低いは作り手の意識の問題だ。 どこまで独善的に自己表現を貫くか、自分のアーティスト性を優先するか、ユーザーのニーズにどこまで敏感、あるいは鈍感でいられるか、という話。 もちろん、志の高くて売れる作品もありうる。 という前提の上で、この間の文章は、志の低い、つまり一般ユーザーのニー

    音楽の「質」の話とか - くだらない踊り方
  • 「終わりの始まり」―― 音楽業界の2007年と2008年 - くだらない踊り方

    忘年会で何キロ太っただろう。焼酎のビンはしばらく見たくない。 とにかくいくつもの忘年会でいろんな音楽業界の人間と話をしてきた。 流通、メジャー、インディー、マネージメント、小売、媒体など、それぞれポジションは違うが、みんな総じて「あきらめムード」である。 自嘲自虐なギャグもすべりぎみで、舐めあうには深すぎる傷を負っている。 2007年がどんな年だったか。音楽業界にとってはいよいよ冬の時代の格到来である。 一昨年より去年の方が悪く、去年より今年の方が明らかに悪い。 冬の時代の到来、なんて書くとそのうち春が来そうだが、実際はそんなことはないだろう。 たまたま日の陰った不況というよりは、もっと構造的な問題、質的な問題なような気がする。 だから当は「死期を悟った」とでも書いたほうがいいかもしれない。 あるいは「終わりの始まり」とでも。 忘年会も一段落し、時間もある。ちょうどいい機会だ。(感傷

    「終わりの始まり」―― 音楽業界の2007年と2008年 - くだらない踊り方
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