戦艦三笠を駆ってロシアのバルチック艦隊を撃滅したのは、ご存知東郷平八郎連合艦隊司令長官でした。 この東郷平八郎を大抜擢したのが、ときの海軍大臣山本権兵衛です。 山本権兵衛は嘉永5(1852)年に、薩摩藩の右筆をしていた武家の生まれです。 当時の武家の躾(しつけ)はとても厳しかった。 逸話があります。 雪の降った朝のことです。 庭で槍術の稽古をしていた権兵衛が、寒さのあまりかじかんだ手にホウホウと息をかけていた。これを見た父は、裸足で庭に飛び降りるなり、権兵衛を怒鳴りつけます。 「武士がそんなことで役に立つかっ!」 そして権兵衛の頭をつかむと、その頭を雪にねじこんだ。 さらに寒中でも毎晩、井戸水を石鉢に汲み入れ、翌朝、この氷のような水で子供たちに縁や棚を拭かせたそうです。 こういうのって、いまどきは児童虐待とか言われるのかな。 でも、そうやって鍛えあげられることによって、後の山本権兵衛の強い