と、うちのおやびんが申しております 以下、おやびんの主張 「あれ以来」の「あれ」とは昭和50年11月20のご親拝を指すのではないか 三木首相は昭和50年8月15日に靖国神社に参拝し、これを「私的参拝」だとした。 「(1)公用車を使わない(2)玉ぐし料を私費で払う(3)記帳に肩書をつけない」との条件がその弁明の根拠だった。 余談だが、どうして、現代の我々から見れば、一種姑息なこのような「言い訳」をしなければならなかったのか、 これには、当時の時代背景というか、独特の空気があった。 この空気が本格的に希薄になるには、金正日の、金欲しさの「拉致問題は北朝鮮の国家犯罪だった」との自白まで待たなければならなかった。 それまでは、誰が何を言おうと、事前の反日フィルターのせいもあってメディアはマトモに国民に正論を届けなかったし、国民の側にも聞き入れる素地がなかったとも言える。 遺憾ながら、「敵失