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人生に関するhhungryのブックマーク (1,053)

  • どうしたら人生埋めていけるか

    高校生の時、大学生の時、この友情はいつまでも続く…なんて一度も思ったことはなく、わたしは社会人になったらどうやって人生を埋めるんだろうって思っていた。 周りの友達はきっと結婚して子供を産んで、専業主婦になる子もいれば、働き続ける子もいるだろう。その子たちの人生はきっと意識しなくても埋まっていく。きっと人生を埋めるなんて発想はなくて、あっという間に20.30年駆け抜けられるんだと思う。 私なんて、仕事終わった後とか土日はソファーに横になりながら、さっきも見たんだから更新されてるわけもないTwitterとインスタを更新し続け、興味もないトレンドを辿り続け、挙げ句の果てにははてなを見るような、そんなので時間埋めてるのに。 今25歳で、まあ80歳くらいまで生きるとして、約2万日をどうやって埋めていけばいいだろう。もっと具体的に考えると、(有給を入れて年間休日140日×起きてる時間18時間)+(労働

    どうしたら人生埋めていけるか
    hhungry
    hhungry 2021/01/10
    “挙げ句の果てにははてなを見るような” / ぴえん
  • 大学不登校、奨学金停止、全部親にバレました。 - 日記

    こんばんは。みぃです。 今まで何度もブログやツイッターで言ってきたことですが、僕は大学に行っておらず、ほとんどの単位を落として奨学金を止められています。 そしてそのことを親に隠し、さも普通に大学に行って順調に卒業するんだろうと思わせてきました。 ですが昨日、全てバレました。 全部バレました。— みぃ (@mukiryoku7) 2020年12月30日 学費の催促が親に届いた きっかけは数日前、親に学費の催促状が届いた。 奨学金が止められているから、学費が払えないためほったらかして滞納していた。 それで「学費納めるか退学するかどっちなんですか」と言わんばかりの文面で親へ督促状が行ったのだ。 父親は特に問い詰めたりはしてこなくて、何か払わない理由があるのかと聞いてきたから「忘れてた」と返して、翌日に払いに行くことになった。 父親に呼び出された。学費の催促が来たらしい。 問い詰められたりはせず、

    大学不登校、奨学金停止、全部親にバレました。 - 日記
  • 人工呼吸器、暗に断念迫られ コロナで死亡の高齢男性

    「助かっても一生、人工呼吸器につながれるかもしれません」と暗に呼吸器の断念を迫られたこともあったという女性=30日午後、兵庫県内 リハビリのため大阪府内の病院に入院中だった80代の父親を、新型コロナウイルス感染により今月16日に亡くした兵庫県阪神地域の50代女性が30日、神戸新聞社の取材に応じた。重症者病床が逼迫(ひっぱく)する中、女性は人工呼吸器を父親に使うかどうか、病院側から7回も問われた。「年齢もお高い」と暗に断念を迫られたことも。「私が『要らない』と言えば、父は死ぬ。元気だった父がコロナになり、人工呼吸器を使うことはそんなに悪いのか」と声を震わせた。(霍見真一郎) 欧米では、人工呼吸器をどの患者に優先的に使うかという議論が起きたが、日ではこうした「順序付け」を行政は否定していた。 女性の父は大阪府在住。認知症のを7年ほど介護していたが、今年3月にが施設に入ってからは1人暮らし

    人工呼吸器、暗に断念迫られ コロナで死亡の高齢男性
  • 3年前の私へ。 あなたは死なずに3年後も生きているし、 3年後も同じ会..

    3年前の私へ。 あなたは死なずに3年後も生きているし、 3年後も同じ会社で仕事をしている。 この増田を書いて数ヵ月後、 あなたが尊敬できなかった上司はその怠惰さのせいで地雷を踏み抜いて訴訟沙汰を起こし、職場が分かれてもう3年顔を見ていない。 その余波で、あなたも勤めるオフィスが変わり、周りの人もほぼ別人になった。 あなたが大嫌いだった人とも、今や一年に一度顔を会わせるかどうかというところだ。 オフィスが移ってからも、しばらくあなたは誰のことも信用できずにいるけれど、なんとか少しずつうまく付き合えるようになってきた。 あなたのしてきた仕事は少しずつ形になり、あなたの持つささやかなスキルは職場で役割を得始めている。 通勤時間は30分伸びたけど、あの頃よりずっと朝起きやすい。 あのとき荒れ放題だった部屋は友人を招ける程度に片付いている。 ストレスと薬の副作用で20kg増えた体重は、ほんの少しの努

    3年前の私へ。 あなたは死なずに3年後も生きているし、 3年後も同じ会..
    hhungry
    hhungry 2020/12/25
    過去の増田に祝福を。
  • ハチャメチャに愛されて育った

    私はサンタを12歳まで信じていた。両親は当に私を大切にして甘やかして愛して育ててくれた。 父は私のことをシンプルに溺愛している。頭の中の9割以上は娘のことを占めていると思う。「お父さんはいつも娘の幸せを願っているよ」とか素面で言い出すから涙が出る。 母は「道を外れた事しなきゃ別に何でもいい」みたいなスタンスで、まるで「私が私である限り愛している」とでも言うような、放任に見えてメチャメチャ愛が深い。 とにかくとにかく、もうハチャメチャに愛されて育ったので、私は人から愛される努力をしなかった。そして半端に頭の出来が良かったので適当に生きても高校生までは特に何も困らなかった。まあ半端なので大学入試まではこなせなかった。 「浪人したい。一年頑張るから」と言ったら私を信じてそこそこ投資をして浪人させてくれた。ろくに勉強せず適当な私文へ。 「就活めんどくさい。勉強は嫌いじゃないし公務員試験受ける」と

    ハチャメチャに愛されて育った
    hhungry
    hhungry 2020/12/25
    友達ができないのは努力のせいじゃない。魅力がないだけ。
  • 亡くなった妻の思い出

    ・ヒートテックがブームになって品薄になったときに、どうしても買いたくなって二人で市内のユニクロを全部まわったけど見つからなくて車で一時間くらいかかるユニクロまで行ったけどやっぱりなかったこと ・Wiiが発売されたときに、オタク趣味が大嫌いなを説得して買うことを了承してもらったけど、品薄で二人で探したけど見つからない。でも、ふと寄ったおもちゃ屋でWiiを発見したら俺よりのほうが興奮してたこと ・ガソリンが高騰してマスコミで騒がれてGSに車の行列ができるような騒ぎになったときに「あそこのGSが安い!」とノリノリであちこちのGSを回って安いのを探してガソリンを無駄にしたこと

    亡くなった妻の思い出
    hhungry
    hhungry 2020/12/16
    良かった思い出とつらい思いでがあるだろうけど、どちらの思い出もないのも寂しい。
  • 何故みんな普通に服を着れるの?

    服のセンスがないと言われて30年経った。 興味がない訳ではない。ファッション雑誌もたくさん読んだしブランド知識もそれなりにある。 高い服から100円の服、ユニクロからしまむら、ハイブランド、ゴスロリからコンサバまで片っ端から着た。 化粧ももちろんする。プチプラからデパコスまで試した。 腰ぐらいまで髪がある時もあればベリーショートと呼ばれるぐらいの時もあった。金髪の時も茶髪の時もあった。 別段特異な服を着ている自覚はない。黒、グレー、茶、白とかもう大抵誰でも似合うような服を選ぶ。 マネキンを上から下まで買った事もある。全身無地のことだって多い。標準的なMかSサイズの服。身長も標準。 それでもどうしても「服が変」「ダサい」と言われ続けて過ごしている。 もちろんファッション誌の服をそのまま着ても人間合う合わないがあるんだから正解じゃないのはわかっている。 でもこれだけ色々通ったんだからどこかに自

    何故みんな普通に服を着れるの?
    hhungry
    hhungry 2020/12/06
    手が4本あるとか、しっぽが生えてるからでは?
  • 宅八郎に救われた夜 追悼:宅八郎|Takuma Kaga

    今年8月に宅八郎さんがお亡くなりになったことが発表になりました。プラスチックスの大ファンで、一時はミュージシャンとして小山田圭吾くんたちとともに立花ハジメバンドのメンバーでもありました。DJとしても「宅ザイル」として、玄人を唸らせる選曲とトラックメイキングを見せる一面もありました。 — 熊谷朋哉 (@tomoyakumagai) December 3, 2020 Twitterのタイムラインに宅八郎氏が亡くなったと上がってきた。これは実は生きていて「宅八郎死亡説が流れた」なんてことになるネットの祭りなのかなと思った。しかし複数の人が同じ内容をツイートしているところを見ると、どうやら当のようだ。 宅八郎は1990年に「オタク評論家」と言う肩書きでテレビに出始めた。1989年に幼女連続誘拐殺人事件があり「オタク」という呼称は蔑称の意味合いを強く含んでいる中での登場だった。 宅八郎を知ったのは

    宅八郎に救われた夜 追悼:宅八郎|Takuma Kaga
    hhungry
    hhungry 2020/12/04
    著者の宅八郎との思い出を語ってるだけでしょ。
  • お前が二度と東京に戻れませんように!! お前が二度と東京に戻れませんよ..

    お前が二度と東京に戻れませんように!! お前が二度と東京に戻れませんように!! お前が二度と東京に戻れませんように!! 一度しか言わないから、よく聞いておいてくれよ 俺は・お前が・嫌いだ よくもまあそんなに腹の立つことが言えるもんだな ああそうだよ、田舎に人はいねえよ ホントにいねえよな わかるよ 何もねえよな ホントに何もない ゴミだゴミ 文化、文明ってものがないよな 夜とかもさ、外をうろついてるのは動物か近所で有名なキチガイのおじさんくらいだ なぜか?まともな人間には出歩く動機がないからだ 店もねえ、コンビニもねえ、街灯すらまばらなところもある 暗くて何も見えねえ、人外魔境が夜になるたび顕現するんだよな そら外にもでんわ ほんでまあそうするとひと気も感じられないよな そうか、寂しいって感想になるんだなあ 俺は知らなかったよその感覚 夜に人間はいないもんだと思ってたからな むしろ都会が落

    お前が二度と東京に戻れませんように!! お前が二度と東京に戻れませんよ..
  • 全財産を使って外車買ったら、えらいことになった|岸田奈美|NamiKishida

    12月19日 追記 こちらの記事が、とんでもねえ経緯と熱量で、英語ほか10言語に翻訳されました! 英語翻訳された奇跡の舞台裏note 英語翻訳版の記事 全財産の内訳は、大学生の時からベンチャー企業で10年間働いて、したたり落ちるスズメの涙を貯め込んだお金と。 こんなもん、もう一生書けへんわと思うくらいの熱量を打ち込んで書いたの印税だ。 それらが一瞬にして、なくなった。 外車を買ったからだ。 運転免許もないのに。 「調子乗ってんなよお前」と思った人も、「どうせ“わたしのマネをすれば秒速で車が買えるんですよ”ってやばいビジネスに誘うんだろ」と思った人も、一旦、聞いてほしい。 わたしは、わたしなりに、誇らしい使い方をしたのだ。 あまりにも誇らしいので、一連の流れを12月6日放送の「サンデーステーション(テレビ朝日)」で取材してもらうことになったけど、時間が限られているTVでは、わたしの当の思

    全財産を使って外車買ったら、えらいことになった|岸田奈美|NamiKishida
  • 東京生まれ東京育ちの若者が田舎に転勤になって死ぬほど辛い話 追記2

    ※ページ最下部に追記しました。 当方20代後半、都下(いわゆる23区外の多摩)に生まれ、22歳で都内の大学の文系学部を卒業し、ストレートに大手メーカーに総合職として就職。配属は社内情シス。 その俺が、入社数年して突如地方転勤を言い渡された。 転勤先は東海道新幹線のとある駅まで数kmの田舎の工場で、工場情シスということで仕事の内容自体は東京の社とあまり変わらない。サポートデスク的なあまり難しくない仕事だ。 が、転勤して半年ほどたって耐えられなくなってきた。当につらいし、地方転勤を心の底から舐めていた。東京で生活できることのすばらしさを舐めていた。住環境というものを過小評価していた。 就活してる時に戻れるなら、地方転勤があり得るメーカーなんて絶対に受けない。なまじ偏差値高い大学だったため、同期も大手企業にバンバン内定を決めていることが焦りにつながり、俺もブランド重視で大手メーカーを選んでし

    東京生まれ東京育ちの若者が田舎に転勤になって死ぬほど辛い話 追記2
  • 親友だと思っていた子の結婚式に行ってから眠れなくなった

    タイトルの通りである。 まず私は女だ。そして親友(だと思ってた)も女性だ。 彼女とは中学から付き合いで、私立中学で1年で同じクラスで隣の席で最寄り駅も隣でアニメ趣味も一緒であった事もあり、すぐに仲良くなった。 エスカレーターだったので中学から大学まで一緒で、一緒のクラスになったのは1年だけだったけど、ほぼ毎日一緒に一緒に行って一緒に帰った。 大学を卒業して社会人になっても、仕事帰りに会ったし休日遊んだし、旅行にも行った。 “親友”という単語は一度も使った事がなかったけど、私は彼女の事を親友だと思っていたし、彼女からそう思われてるとも勝手に思っていた。 自体が変わったのは去年の夏。当日私が強烈にどハマりしていたアニメの最終回が放送されている最中に彼女からラインがきた。今日最終回放送で私がそれをすっごく楽しみにしている事も彼女には言っていた。 だからきっと最終回についての実況的な内容だと思って

    親友だと思っていた子の結婚式に行ってから眠れなくなった
  • 理想の死に方はハードルが高い

    世の中にはポックリ信仰だのコロリ観音などというものもあり、「ぽっくり死ぬ」のが一つの理想とされている。 まあ確かに、死ぬと判っていて長く苦しむのは、特異な死生観を持っている人以外は嫌だろう。 また、認知症などで長く家族に負担をかけて、とてつもない醜態をさらし続けて「いつ死ぬんだろう」と半ば願われながら死ぬのも、物寂しい話である。 ピンピンコロリは、やはり一つの理想である。 とはいえ、1人暮らしの人などがいきなり自宅で死ぬと、発見されるまでに時間がかかってしまい、遺体や自宅が無残な状況になりかねないリスクがある。 では仕事中に死ぬのが良いかというと、これも微妙だ。 友達少ないから、全社会議とかで大勢にお別れしてもらえるのはまあちょっと興味あるけど、正直、社長とか上司とかが何言い始めるか分からない危険性があるし、 遺族が過労死や労災を疑ったりして、後味が悪い結果にもなりかねない。 かといって通

    理想の死に方はハードルが高い
  • 逮捕、無罪判決、そして厚生労働事務次官へ。彼女が続けた地道な歩み|村木厚子の履歴書 #ぼくらの履歴書 - ぼくらの履歴書|トップランナーの履歴書から「仕事人生」を深掘り!

    長年に渡り官僚として女性政策や障害者政策に携わりながら、予期せぬ逮捕で罪に問われ、裁判で無罪が確定し、復職。その後、女性としては史上2人目となる厚生労働事務次官(国家公務員の最高位)を務めた村木厚子(むらき・あつこ)さん。こうした履歴を目にすると、私たちはその人に「不屈の人」という印象を抱きます。しかし、村木さんはご自身を評して「平凡」と語ります。 「平凡な人間でも、職業人生を全うできることを証明したかった」と語る村木さんの言葉から見えてきたのは、激動と呼べる半生とは裏腹のしなやかさ、そして逆境にあっても決して失われなかった信念でした。 「志なんてなかった」消去法で選んだ官僚への道 ──村木さんが労働省(現・厚生労働省)に入省されたのは1978年。男女雇用機会均等法が成立する以前のことで、村木さんのように地元を離れて就職されるのは珍しかったのではないでしょうか。 教育に理解のある家だったの

    逮捕、無罪判決、そして厚生労働事務次官へ。彼女が続けた地道な歩み|村木厚子の履歴書 #ぼくらの履歴書 - ぼくらの履歴書|トップランナーの履歴書から「仕事人生」を深掘り!
    hhungry
    hhungry 2020/11/26
    ってかなんで公務員って泥をかぶると出世するの?人事腐ってるだろ。
  • 恋とセックスに振り回された人生だった - phaの日記

    今までにあまり書いてこなかった恋愛やセックスの話を書いてみようと思ったのは四十歳になったのが一つのきっかけだった。 書いてはこなかったけれど、それは自分の人生の中ですごく重要な位置にあるものだった。 もともと自分は引っ込み思案で人と積極的に関わろうとする性質ではない。なので、恋愛感情や性的衝動に突き動かされることがなければ、もっと内向的で変化のない人生を送っていただろう。恋愛や性欲というのは閉じている自分を切り開いてくれるものだった。それはときどき妄想に近くなって、人に迷惑をかけたりもするものだったけれど。 三十代も終わり、自分の中の衝動が少し落ち着いてきたのもあって、自分のこれまでの右往左往を振り返ってみたいと思った。これを書かないと自分の人生が前に進まない、と思ったのだ。 最初は恋愛のことだけを書くつもりだった。だけど、恋愛というのは人生のさまざまな要素に絡んでくるものなので、結局、自

    恋とセックスに振り回された人生だった - phaの日記
  • コロナ禍の中無職になった奴の叫び

    金がない。 コロナのせいではないが、運悪くこのタイミングで無職となった。 ハローワークへ行く。「ハロワの求人にロクなもんはない」と分かっていても、行かねばならぬ。 あの空間には慣れたものだが、あの新型の感染症が流行してからは更に悲壮感の漂う施設だ。 秋の冷たい風が吹く。 周りのオフィスビルには毛玉一つないニットやシワひとつないスーツに身を包んだ男女が吸い込まれて行く。 しかしこのハローワークに足を踏み入れるのは、私のように毛玉だらけのセーターを着た小汚いやつばかりである。 もちろん綺麗な服を着た人もいるが、だいたいは私と似たようなもんだ。 「今日の新着求人」が貼り出されたボードに群がる人々。 誰一人言葉を発することもなく、貼り出された求人票を眺めている。 私もその中に入らせていただき、今日のNEW案件をチェックする。 洗い場、950円、初心者歓迎、正社員登用実績あり、各種保険完備… さて、

    コロナ禍の中無職になった奴の叫び
  • あ、それ、シ○ブだよ!!

    人の家でテレビのリモコンの調子が悪くても、勝手に引き出しは開けないほうがいいかもしれない。 当然だよ。と、言いたげなお前らの呆れ顔が目に浮かぶ。状況を整理する。 あれは新宿界隈のバーでだらだらとバイトをしていた。20歳前後の頃でした。お客様ですごく可愛らしい女性が来た。 目が大きくて、黒目も(カラコンかもしれないけど)大きくて、細くて、年齢も近かったので意気投合し、バイト後に飲みに行くことに…。 で、瞬く間に付き合うことになった。 きっとお互い暇だったんだと思う。出会ってから付き合うまで1週間くらい。 当時バイト先は新宿だったんだけど、自宅は新宿から離れていた。 彼女は俺に比べると新宿の近くに住んでいたため、付き合いをきっかけにバイト後は彼女の部屋に泊まる日もあった。 一緒に過ごす時間が増えていく中で、ちょっと違和感があった。 彼女、やけに元気な日もあれば、ものすごく落ち込んでいる日があっ

    あ、それ、シ○ブだよ!!
  • 【アルバイト】3年間バイトでやらかしたこと全部言う

    私は大学入学してから3年間現在までアルバイトをし、数々のミスを犯してきました。私は聞いても一度で理解できない、聞いてもすぐ忘れてしまいます。また分からないことを聞きたくても人の顔色も必要以上に伺い聞くタイミングを逃してばかりでした。これまでしてきたアルバイトを始めるきっかけ、期間、やらかしたことなどをまとめてみました。 1.塾講師 大学入学と同時に開始。なるべく楽して稼ぎたい。その思いで学習塾の講師になります。当時求人に掲載されている給与は時給ではなくコマ給というトラップに気づけませんでした。週に1〜2日入っていました。一年半働いていました。 [犯した過ち] ・字が汚すぎて学習アドバイスが読めないと保護者からクレーム ・どうしても行く気分じゃなく当欠 ・計画性がなく夏期講習の予定を立てられない、上の人から催促されて出すも欠勤 ・予習しても分からない、聞かれたら来週答えるといいそのまま放置

    【アルバイト】3年間バイトでやらかしたこと全部言う
    hhungry
    hhungry 2020/11/07
    自分のことのようで胃がキリキリする…それでも働いててエラい
  • 鮎川というオタクに優しいギャル

    鮎川は中学校3年の時の同じクラスの女子だった。身長が高くて小顔。すっと通った鼻筋が印象的な美人だった。 校則で禁止されているのに、少し明るい色に髪を染めていて生活指導によく目をつけられていた。 当時はアムラー全盛期。クラスの女子はみんなルーズソックスくらいは履いていて、ギャルっぽい格好が普通だった。 その中でも彼女は少しヤンキーっぽくもあり、大人びた雰囲気もあり、いつも気怠そうな感じで「圧」があった。 俺はといえば、いわゆるアニメ漫画ゲームオタク。 休み時間に仲良くする友達も少なかったので、漫画の模写ばかりをして昼休みを過ごしていた。 無論、下手くそな絵を見られるのが嫌だったので、音楽室の隣の空き教室にいつも忍び込んでいた。 夏休みもあけた9月。体育祭の係を決める学級会があった。 うちの中学校では3年生が町内10キロを走るマラソンが1番の目玉だったが、 運動が苦手な俺は心の底から参加したく

    鮎川というオタクに優しいギャル
  • 派遣に告られてびっくりした (30歳男性)

    当時30歳 大手IT勤務 社内でも学歴は高いし、エリートと言われたらエリートなんだろう。 入社5年でチームリーダーを任されてるし、自分で言うのも何だが、仕事は出来る方だと思う。一応上司からは目にかけられて、それなりに出世街道に乗ってるみたいだし。 ただ、見た目は悪い。身長は低いし、胃腸が弱くてヒョロガリだし、顔も自分で言って悲しくなるが醜面だ。性格も社内では取り繕っているつもりではあるがコミュ障だと自負してる。それに服や髪形も大学院に入ったあたりから気を使い始めたくらいで、それらも基的に自己流だから、あんまりセンスは良くない。分かってはいるが、それらにあまりお金や時間をかける気にもなれない。 ここまで書いたら分かると思うけど、今まで一切と言っていいほど女性と縁がなかった。正直、当然だと思う。身を整える前、会社に入る前は見た目も振る舞いもキモオタそのものだったし、会社に入ってからもアニメや

    派遣に告られてびっくりした (30歳男性)
    hhungry
    hhungry 2020/11/04
    最後の一文がよい。