【降臨賞】空から女の子が降ってくるオリジナルの創作小説・漫画を募集します。 条件は「空から女の子が降ってくること」です。要約すると「空から女の子が降ってくる」としか言いようのない話であれば、それ以外の点は自由です。 字数制限 : 200~1000 字程度 締め切り : 2009-01-12 18:00 で募集を止めます。 優勝賞品 : もっとも稀少な(と質問者が判断する)作品を書いてくださった方に 200 ポイントを贈ります。
はてなグループの終了日を2020年1月31日(金)に決定しました 以下のエントリの通り、今年末を目処にはてなグループを終了予定である旨をお知らせしておりました。 2019年末を目処に、はてなグループの提供を終了する予定です - はてなグループ日記 このたび、正式に終了日を決定いたしましたので、以下の通りご確認ください。 終了日: 2020年1月31日(金) エクスポート希望申請期限:2020年1月31日(金) 終了日以降は、はてなグループの閲覧および投稿は行えません。日記のエクスポートが必要な方は以下の記事にしたがって手続きをしてください。 はてなグループに投稿された日記データのエクスポートについて - はてなグループ日記 ご利用のみなさまにはご迷惑をおかけいたしますが、どうぞよろしくお願いいたします。 2020-06-25 追記 はてなグループ日記のエクスポートデータは2020年2月28
更新があいてしまいました。ここのところは原稿書いたり、東方を久々にいくつかやり直したり、温泉行ったりしていたのですが、どうも生産性が落ちているのは否めないので、何とかてこ入れしたいものです。というわけで、今日は東方絡みで二、三思うことを。 東方はシューティング+偽史ということで、80年代的なテイストを感じてちょっと敬遠していたのですが(僕の世代のメジャーなゲーム観は、たぶんアーケードといえば格ゲー、コンシューマーといえばRPGだと思うので、いずれにせよシューティングはゲームの代表にはならない――まぁ個人差はあるでしょうが)、プレイしながらつらつら考えるに、東方はフラットなデータベース(設定の束)に趣向を走らせてつくられる80年代的偽史というより、むしろデータベース(「幻想郷」と呼ばれるもの)の内部に随時結界を引いて、そこを探査=攻略していくというタイプの偽史なので、ちょっと考え方を変えな
2008年11月16日 ネットカフェ難民にもなれなかった男の末路 ここでは表題の「ネットカフェ難民にもなれなかった男」のことを、仮に荻野光男と呼ぶことにする、この名前は彼の正確な本名とは異なっている。このエントリでは、彼について把握できる限りのことをただ単に書いていくだけであり、このエントリには何の未来も無いし、ただ彼の人生の一端が垣間見えるだけで、救われる者は誰もいない。 1 八月三一日、青葉唯石が渋谷のとあるマクドナルドでイー・モバイルを使ったネットの徘徊をしていたところ、一人の男が話し掛けてきた。男は荻野と名乗り、仕事が無いのでそのパソコンで日雇いのアルバイトの情報を検索させてくれと言う。唯石は面白がって、また人を集めるので翌日に再度ここに来て欲しいと告げるとその場でツイッターやらスカイプやら、様々な経路で人を集め、翌日には十数人が集まった。荻野は吃音がひどく、見知らぬ人に囲まれなが
これは一人の男の子の話です。 生来心臓に欠陥があり、幼い頃に大手術をし、何種類もの薬を飲みながら暮らしていました。 ただ、彼には軽度の知的障害があり、なぜ自分が薬を飲んでいるのかはよくわかっていませんでした。 彼が小学生になると両親が事故で亡くなり、叔父夫婦に引き取られました。 叔父の家にはあまり居場所がなかったので、自然と学校の友達と遊んでばかりいるようになりました。 ただ、学校の授業はほとんどわかりませんでした。 中学生になると、まったく授業が分からなくなり、学校に行かず、友達と遊んでばかりいるようになりました。 高校生になっても同じでした。 友達は彼にお店でお金を払わずに品物を持ってくる遊びを教えてくれました。 ただ、彼はそれが本当に悪いことだと気づいたのは、警察に捕まって、少年課の刑事さんに怒られた時でした。 彼は医療少年刑務所に入ることになりました。 心臓のことがあったので、普通
2年ほど前、田舎の祖父から電話がかかってきた。 「テツ、パソコンをかったんだ、おまえと同じやつだぞ」 自分と同じ富士通のFM−Vを買うとは・・・でも年金暮らしの祖父のことだ、父親や叔父たちが買ってあげたのかもしれない。ただ、祖父が買ったのはiMac17インチ(当時Core2Duo搭載の最新のやつ)だった。驚いた。「テツと同じアップルのパソコンだ」・・・。最初は何を言ってるのかと思ったが、話を聞いてわかった。 自分は5年ぐらい前までデザイン事務所でDTPオペレーターをやっていた。なんとなく東京のデザイン系専門学校を卒業したが当時は就職難で職につけず、バイトの日々。転々とバイトしていくうちに、知り合いの紹介でデザイン事務所に入ることになった。素直にうれしかった。一応デザイン系の学校をでたのだから、その道でメシが食えると。 ところが、仕事はフォトショップでキリヌキをしたり、QuarkXPress
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く