2020年4月14日のブックマーク (2件)

  • 【書評】鈴木大拙の『仏教の大意』をよんで、かんがえる「自分と他者とのちがい」 - 行為と妄想をかきのこしていくところ

    午後から神戸で研修なので、梅田の喫茶店で、ちょっと時間をつぶしている。名前をひかえるのをわすれてしまった。マクドナルドのとなりにある、純喫茶風のお店である。 朝昼兼用の事。オムレツサンドである。サンドイッチをくわえようとすると、たまごが、スルッとこぼれおちる。あたえられたのは、ちいさなフォークひとつだけである。どないして、たべればよいのかわからないまま、顔をお皿にちかづけ、手をよごしながら、みっともなく、かきこんだ。 後は、コーヒーをのみながら、鈴木大拙の『仏教の大意』をよんでいる。帯には、「大拙の書を一冊選ぶとしたら、迷わず私は書を手に取る」とある。『日的霊性』とならぶほどの古典的名著であるらしい。 仏教の大意 (角川ソフィア文庫) 作者:鈴木 大拙発売日: 2017/01/25メディア: 文庫日的霊性 (岩波文庫) 作者:鈴木 大拙発売日: 1972/10/16メディア: 文

    【書評】鈴木大拙の『仏教の大意』をよんで、かんがえる「自分と他者とのちがい」 - 行為と妄想をかきのこしていくところ
  • いきづらさの穴をうめるために、ぼくはこんな雑文をかいているのだろうとおもう。 - 行為と妄想をかきのこしていくところ

    自分自身が、社会のどこにいて、どこにむかっているのか、いまもむかしも、全然わからない。ぼく以外のおおくのひとは、社会という秩序のなかにいて、その秩序にしたがって、あゆみをつづけているようにみえるけれど、実際のところは、どうなのだろう。ぼくは、その秩序のことがよくわからない。だから、そのよくわからないものに、したがっていくことが、とてもいきづらい。 鈴木大拙は、仏教の、宗教の、根は無心なのだということを指摘している。その無心について、無分別の分別などという表現をつかったりして、あの手この手、何度もくりかえして、説明している。 鈴木大拙をうけて、ぼくなりの理解をふかめてみると、「信仰とは、無秩序のなかにあって、秩序だっていること」だといえるとおもう。社会は、二元的に、対立の論理で、なりたっているが、信仰の世界は、そうではない。無秩序が秩序だっているという感じが、どうやら、ぼくは、ここちがよい

    いきづらさの穴をうめるために、ぼくはこんな雑文をかいているのだろうとおもう。 - 行為と妄想をかきのこしていくところ
    hide-himuro
    hide-himuro 2020/04/14
    精神的におちこんだときのメモ