このバナーは、2008年8月7日まで常にトップに表示されます。ボイコットに賛成の方はこちらまで。 中国はジャーナリストにとって世界最大の監獄 国境なき記者団 久しぶりに良い記事に出会った。 以下は、讀賣新聞のコラム[顔]からの引用(全文)である。 [顔] 昭和戦争中の元台湾少年工組織の代表 李雪峰さん ◇り・せっぽう 81歳 ◆「日本で不屈の精神学んだ」 昭和戦争末期、日本の植民統治下の台湾から神奈川県の高座(こうざ)海軍工廠(こうしょう)に渡り、戦闘機「雷電」の生産に汗を流した少年たちがいた。1943年秋、その一員に志願して日本へ行った。日本名は森本雪夫。当時17歳。指導役だった関係から、同窓会「高座会」を結成し、会長を務める。 「働きながら学べる」として、台湾各地の成績優秀者が少年工に選抜され、計8419人が力不足だった日本の軍需産業を支えた。「寒い日本では食べ物が台湾より少なく、