まぁ、誰でも書くからあまり書いても仕方ないのかもしれないけど、お騒がせな事件たちの話を聞いていると、法律にしろ何にしろどんどん「手順書」化していってるってのが問題の根源にあるなぁと感じてしまう。 理念というか理想というか、そもそも何がフェアで何がアンフェアなのかというのは、根本的には感情論であるわけで、「すき、きらい」「ずるい、ずるくない」の世界だと思う。機会を均等にするために、そうでなことをしたら罰則を作りましょう。あるいは、そうしていることを開示するための手順を決めましょうということでしかない。 手順書になってしまうと、「そうしていれば問題ない」あるいは「そうしなければ問題ない」という理解に繋がってしまう。明文化していくときの難しさであるわけですな。すべての可能性や危険性を記載して、そのときにどうしましょうということを決めていくことが、契約だったりするわけなんだけど、そもそもそれはどう