〔エディプスの衰退、父への同一化に〕先立って、父が母を剥奪するものとして機能し始める瞬間があります。つまり、父が母とその欲望の対象との関係の背後に、「去勢するもの」として姿を現す瞬間があるのです。(……)この場合、去勢されるのは主体ではなく、母だからです。(ラカン セミネールⅤ) さて、このセミネールⅤでラカンは何を言っているのだろう。まずはなによりも「去勢」は子供の去勢ではなく、母の去勢であるということだ。母の去勢? 母にはおちんちんはもちろんない。だがファルスはある。母のファルス、想像的ファルスである。 以下にジジェクの2012年に上梓された文章を英文のまま付す。 The most important part of the imaginary is what cannot be seen. In particular, taking the pivot of the clinical