タグ

関連タグで絞り込む (0)

  • 関連タグはありません

タグの絞り込みを解除

増田と文学に関するhighcampusのブックマーク (5)

  • 頭が高い 朕のちんちん 控えおろう 夏井「これは本当に良い句で。素直に..

    頭が高い 朕のちんちん 控えおろう 夏井「これは当に良い句で。素直に読むとね、皇帝なのかな?王様なのかな?大国の権力者が、側近なのか、それとも参賀に詰め掛けた国民に対する勅言なのか。とにかく下々の者たちを集めて、自らの権威を誇示している。それも、これは男性器を誇示しているように思われる。やはり限界まで充血して屹立し、どくんどくんと脈打っているのか。それとも、平常の状態のものをぶらんと無造作に揺らしているのか。いずれにしても、どういう状況なのかな?どっちなのかな?って読者が想像する余地があるのね。ここに豊かさがある」 フワちゃん「これ季語なくない?」 夏井「音の面から見ても、朕とちんちんで韻を踏んでいる。ちんちんはそもそもちんが重なっているので、ちんちんちんでトリプルちんなのね。これがまた妙味を醸している。すこしコミカルな感じがしますでしょ?状況からしても、どこかユーモラスな空気がある。そ

    頭が高い 朕のちんちん 控えおろう 夏井「これは本当に良い句で。素直に..
  • 夏目漱石「月が綺麗ですね」の元ネタを遡る

    「夏目漱石は「月が綺麗ですね」となんか訳していない」という話から、「初出であるとされる70年代以前がどうだったのか知りたい」という話が出ていたので、Googleブックスを検索していたのだが、1962年刊行の『日人の知恵』にこのような話があるらしい。 さらにいえば、日の社交の基は「見る」ことで成立する。 若い男女の恋人同士が愛の告白をするとき、西洋人のように、 「私はあなたを愛しています(I love you)」 などとはけっしていわない。 そんなことばを口に出さなくとも、満月を仰ぎ見て、 「いいお月さんですね」 そして、二人でじっと空を見上げるだけで、意思は十分通じるのだ。 日人の知恵 - 林屋辰三郎 - Google ブックス この『日人の知恵』というは、 なんと、昭和37年に発行されたで、その前年朝日新聞に連載された「日人の知恵」を再編集したもの。 日人の知恵 林屋辰

    夏目漱石「月が綺麗ですね」の元ネタを遡る
  • クソデカ羅生門

    ある日の超暮方(ほぼ夜)の事である。一人の下人が、クソデカい羅生門の完全な真下で雨やみを気持ち悪いほどずっと待ちまくっていた。 馬鹿みたいに広い門の真下には、この大男のほかに全然誰もいない。ただ、所々丹塗のびっくりするくらい剥げた、信じられないほど大きな円柱に、象くらいある蟋蟀が一匹とまっている。クソデカ羅生門が、大河のように広い朱雀大路にある以上は、この狂った男のほかにも、激・雨やみをする巨大市女笠や爆裂揉烏帽子が、もう二三百人はありそうなものである。それが、この珍妙男のほかには全然誰もマジで全くいない。 何故かと云うと、この二三千年、京都には、超巨大地震とか破壊的辻風とか最強大火事とか極限饑饉とか云うエグすぎる災が毎日つづいて起こった。そこでクソ広い洛中のさびれ方はマジでもう一通りとかそういうレベルではない。旧記によると、クソデカい仏像や文化財クラスの仏具をものすごいパワーで打砕いて、

    クソデカ羅生門
  • 伊藤計劃はキリストを超えた。わけあるか。くたばれ。

    <hopelessness> これは、どうにもならない。 </hopelessness> 『ハーモニー』(ハヤカワ文庫JA) P.68 伊藤計劃は偉大な作家だ。 少なくともある程度を読む人間にとって、彼の代表作、評価、 その死後の受賞歴を長たらしく記す必要がない程度には。どうしようもなく。 それゆえに、ある種の人にはその逝去を悼まれる死者として、またある種の人には越え難い壁として、 そしてある種の人々には華々しい装飾品として扱われる。 更に法人からはSF業界に新しい息を吹き込む新鋭として、 また広告塔として。素材として。贄としてだ。 彼の最大の幸福は早川書房との出会いである。 小松左京賞を逃した『虐殺器官』が早川書房へと持ち込まれ、ハヤカワJコレクションとして発刊される。 作の評価、また出版のうえでの編集者との出会い等がなければ『ハーモニー』が生まれることはなかっただろう。 彼の死後、

    伊藤計劃はキリストを超えた。わけあるか。くたばれ。
  • 爆笑問題太田光の執拗な村上春樹批判に思うこと

    この文章がまわりまわって太田さん人に届けばいいなと思って書きます。爆笑問題太田光が村上春樹の大アンチであることはよく知られている。僕は昔、太田の熱心なファンだったし、村上に関しては今もファンなので、太田の執拗な村上春樹批判には正直言って、ものすごく傷つけられている。はじめて太田が村上を批判したのは2000年ごろのTBSラジオ爆笑問題カーボーイだったか。その時は「あのね、オレ、村上さんの小説は学生時代からほとんど全部読んでるんだけど、世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランドとか好きなのもあるんだけど、よくわかんないんだよね。みんなが良いって言ってるんだから、オレ一人ぐらいわかんないって言ってもいいでしょ?」といったていどのソフトなものだった。おそるおそる、という感じ。その後年齢を重ねる度にどんどんエスカレートしていった。一年後。「村上春樹の小説は中身がない。よくわからない。でも自分の好

  • 1