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思想と魔まマに関するhighcampusのブックマーク (6)

  • 『人生論ノート』で読み解く『まどか☆マギカ』 - 備忘録の集積

    哲学者 三木清の散文集『人生論ノート』の「幸福について」の章を引用し、アニメ『魔法少女まどか☆マギカ』の登場人物が幸福であったかを説く。 自分が幸福であること 幸福は徳に反するものでなく、むしろ幸福そのものが徳である。もちろん、他人の幸福について考えねばならぬというのは正しい。しかし我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し得るであろうか。 自分が幸福である状態とは、幸福の根拠が自分にあるということである。言い換えるなら自律的な幸福のみが幸福として生き残る。他律的な幸福は幸福であり続けることが出来ない。 「我々の愛した美樹さやかはなぜ死んだ」 「少女だからさ……」 美樹さやかは愛するものの幸福を願ったが、彼に愛されたいという念願は果たされることがなく、彼女自身は不幸であった。 我々は我々の愛する者に対して、自分が幸福であることよりなお以上の善いことを為し

    『人生論ノート』で読み解く『まどか☆マギカ』 - 備忘録の集積
  • 「魔法少女は現代思想の夢を見るか?」に行ってきた - Parergon on and on

    12日に三省堂書店店で行われた「魔法少女は現代思想の夢を見るか?」というトークイベントに行ってきました。 http://www.books-sanseido.co.jp/blog/jinbocho/m/post-475.html 会場はほぼ満席で男性がほとんど、あと年齢層は高めで60過ぎてるんじゃないかという人までいました。見た感じ40代くらいの人が多かったです。若い人はほとんど見かけなかったのですが、これはこういうイベントに興味がないのか、平日だから行けなかったのか、どっちなんだろ。あとマスコミ関係者用の席もありました。 で、18時30分スタート。司会は『成熟という檻』を編集した岸川真氏、それから『成熟という檻』著者の山川賢一氏、大森望氏、森川嘉一郎氏が登壇。まずは著者の山川氏が話し出したのですが、立ち上がってホワイトボードを使って『まどか☆マギカ』の物語構造の説明をし始めました。大森

    「魔法少女は現代思想の夢を見るか?」に行ってきた - Parergon on and on
    highcampus
    highcampus 2011/09/27
    「魔まマ」イベントレポート/"最近のアニメ評論は社会批評と結びつけるものが多く、そういうのも面白いとは思うけど自分はやりたくなかった。優れた作品なら社会と結び付けなくても作品の魅力を書くことはできる"
  • まどかー、もどってこーい。 - あままこのブログ

    魔法少女まどか☆マギカという作品を見た。 概ね、ネットでは「大好評」と言っていいと思う。重度のウヨサヨ脳の僕が見ても、右はヘイトスピーチでもって反中感情を煽る民主党区議会議員から(「魔法少女まどか☆マギカ」お薦めです。 田中けんWeb事務所)、左ははてなダイアリーでも有名な「サヨク」であるid:hokusyu氏まで(約束された救済――『魔法少女まどか☆マギカ』奪還論 - 過ぎ去ろうとしない過去、まどかの救済――あるいは背中のまがったこびとの話 - 過ぎ去ろうとしない過去)、軒並み絶賛しているのだから。みんな、まどかやほむらを賞賛している。彼女らこそが魔法少女を救った神、または英雄であると。 しかし、僕はこの波に乗れなかった。まぁ、世間の波に乗れないこと自体はそんなに大した事ではない。僕は天邪鬼だから。でも、そういう感情っていうのはアニメを見たあと時間が経つと消え去るものなのだけれど、今回は

    まどかー、もどってこーい。 - あままこのブログ
    highcampus
    highcampus 2011/05/05
    "大事なのは、常に決意を揺るがせ、それが間違っていないか、考え、修正しながら進むこと。そうしてできた決意こそが、その時々に「信じる」に値する"
  • 魔法少女まどか☆マギカで学ぶ仏教思想 - 猫と杓子と鰹節

    先日、「魔法少女まどか☆マギカ」の最終話が(ようやく)放映されました。その内容には賛否両論あると思いますが、ごく一部で話題になっている事として作と大乗仏教思想の類似性が挙げられます。しかしながら私が適当に検索を掛けてみたところ、断片的な類似性の指摘はあっても格的な考察は見当たらなかったので、このような記事を書いた次第です。この記事は仏教学入門とアニメ「まどか☆マギカ」の評論という2つの面を持っています。従って同作についての激しいネタバレを含みますのでご注意ください。*1 ・そもそも仏教とは? ご存知のように仏教は紀元前5世紀頃*2に、北インドで生まれた宗教です。その開祖は俗名をガウタマ・シッダールタと伝えられ、一般にはブッダ(buddha)の称号で知られています。buddhaとは「目覚める」という意味の動詞budhの過去分詞形であり、(真理に)目覚めた人という尊称として使われています。

    魔法少女まどか☆マギカで学ぶ仏教思想 - 猫と杓子と鰹節
  • nix in desertis:キリエ・エレイソン(2) −魔法少女まどか☆マギカの私的解釈・感想

    『Fate/zero』1巻のあとがきで,虚淵玄が「エントロピーの増大でどうせこの世は終わってしまうというペシミズムのせいでバッドエンドしか書けない」とか言っていたときは,正直何いってんだこいつとしか思えなかったのだが,今ならばこのスケールで考えてればそりゃね,とは思えるようになった。 以下,ネタバレ全開。まず,いろいろ解釈の分かれているらしい12話の自らの解釈を提示し,前回のキリスト教的解釈がどの程度ネタで書きどの程度マジで書いたか開陳した後,適当に感想を述べ,最後に「それだけはないだろう」と思った解釈にだけ少しだけ反論して締めることにする。 虚淵の新しいものを見せる,というのは全くの嘘で,作は最初から最後まで,あくまでも「虚淵と,彼の周囲に存在した作品群の集大成」であった。一つ一つの要素を分解していけば,『Fate/stay night』に『鬼哭街』,果ては『Stein's Gate』

    highcampus
    highcampus 2011/04/27
    "確かに魔獣がいる世界での魔法少女は「理想をだいて溺死しろ」的であることに違いないのだが,まどかがやったことというのはむしろ「それを溺死だなんて間違ってる,貴女のことは私が弔ってあげる」"
  • まどかの救済――あるいは背中のまがったこびとの話 - 過ぎ去ろうとしない過去

    2月のエントリ「約束された救済――『魔法少女まどか☆マギカ』奪還論」は、編があのような結末をむかえたこともあって、大きな反響を呼んだ。もちろん、あのエントリは予測でも願望でもなく、魔法少女の理念をただ著しただけにすぎない。しかし、内心の予想以上にあのエントリとぴったりくる結末だったのをみて、人が一番驚いているとともに、ベンヤミンと『まどか☆マギカ』の相性はよいということを、ますます確信するに至った。 ところで、人気番組終了の常なのだが、最終回以後、様々な感想がネット上に飛び交っている。満足した者、満足してない者、それぞれいるだろう。あの結末は納得がいかない、という人がいるのはあたりまえのことである。ひとにはそれぞれ価値基準があるのだから。しかし、あのわかりやすい最終回を見て、なお見当違いな解釈をおこなっている人びとも多く見られる。それはたぶんにドグマ的であり、「誰かが幸福になるには誰か

    まどかの救済――あるいは背中のまがったこびとの話 - 過ぎ去ろうとしない過去
    highcampus
    highcampus 2011/04/26
    そうそうそうなんだよ、「もう何も怖くない」はダブルミーニングになってるんだよ!
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