斎藤隆夫 反軍演説(はんぐんえんぜつ)は、1940年(昭和15年)2月2日に帝国議会衆議院本会議において立憲民政党の斎藤隆夫が行った演説。日中戦争(支那事変)に対する根本的な疑問と批判を提起して、演説した。この演説により、3月7日、斎藤は衆議院議員を除名された[1]。この経緯は言論弾圧としても扱われる。なお、「支那事変処理を中心とした質問演説」や「支那事変処理に関する質問演説」を、一般的に「反軍演説」と称している。 斎藤は1936年の「粛軍演説」で軍部の政治関与を批判するなど国民からの注目を浴びるも、その後警察や軍部からの監視や、さらに脅迫状などの攻撃も受けた。また「国家総動員法案に関する質問演説」において、国家総動員法の危険性を指摘するも、立憲政友会と立憲民政党の二大政党は斎藤の主張を無視し全会一致で成立。 その後過労から転倒して打撲し、脳梗塞の疑いで病床に着く。1937年に起きた日中戦