2018年12月10日のブックマーク (3件)

  • 「恋愛文化はもはや帝国側」俺の指摘が話題に

    なるはず。 「オタク文化はもはや帝国側」と話題になっているが、 私から言わせれば「恋愛文化はもはや帝国側」である。 「恋愛」とは大昔は「親や権力から勝手に配偶者を決定される被抑圧者」が解放される、 自ら望んだ愛した人間と添い遂げるためのメソッドである。 それこそロミジュリやカンイチオミヤのようにだ。 恋愛とは、抑圧から自由になるためのメソッドだったのである。 だが現代は違う。 長年の抵抗の勝利により、恋愛に対する抑圧は衰退し、 我々は自由恋愛主義を獲得できた。恋愛文化大勝利である。 ―――しかしそこで起こった悲劇とは「恋愛文化の抑圧化」である。 「恋愛がスタンダード」なものになることにより、どんどん抑圧となってしまったのである(ナ、ナンダッテー!? 前述した「自ら望んだ愛した人間と添い遂げるためのメソッド」が むしろ「お前自ら望んだ愛した人間と添い遂げられる能力も無いの?プッw」 という

    「恋愛文化はもはや帝国側」俺の指摘が話題に
    hikakinnouraaka
    hikakinnouraaka 2018/12/10
    いやでも実際恋愛文化にこういう側面あるの事実だよね、増田の意図とは違うだろうけど
  • 『HUGっと!プリキュア』若宮アンリを見つめて - 小夜倉庫

    この文章は、必ずしも製作者の意図を探ることを目的とするものではありません。 2018年2月から放送されている『HUGっと!プリキュア』は、そのテーマの取り扱いの難しさやそれが杞憂に終わった先進性から様々な形で注目を浴びました。それをひときわ盛り上げたのは、若宮アンリの存在でしょう。似合っているのだからとメンズ・レディースを問わずお洒落な服に袖を通し、ハーフという言葉をたしなめダブルであると主張し、ときには主人公・野乃はな(キュアエール)に厳しい言葉を投げかけ、終わりゆく自身の選手生命と向き合う……準レギュラーでありながら、1年をとおして濃密に描かれたキャラクターです。 そんな彼は、第42話「エールの交換! これが私の応援だ!!」(2018年12月2日放送)にてプリキュアに変身し、キュアアンフィニと名乗りました。 ここでは、若宮アンリと『HUGっと!プリキュア』について考えてゆこうと思います

    『HUGっと!プリキュア』若宮アンリを見つめて - 小夜倉庫
    hikakinnouraaka
    hikakinnouraaka 2018/12/10
    本当に誠実な文章
  • 2017年の映画あるある:日本映画はバスから始まる - 破壊屋ブログ

    映画の舞台はバスと屋上だ! 日映画の撮影場所はバスと屋上!現代劇ではバスと屋上が出てこない映画のほうが少数派です。製作者たちは安易にバスを選んでいるのかというと、そうじゃない。バスのシーンは映画のトーンを観客に説明するときに使われます。だからバスのシーンは監督の腕の見せ所。まずは2017年の映画でバスがどう使われたのかを解説します。 恋人までの距離を表現するためにバスを使うパターン 恋愛映画では恋人同士の距離感を示すシーンでバスを使います。 『心が叫びたがってるんだ。』 座席が一つ空いているので、恋人未満の関係を意味する。 『昼顔』 隣同士なので親密な関係を意味する。 『ハルチカ』 男(佐藤勝利)がヒロイン(橋環奈)に座席を譲ることで恋心が芽生えていることを表現するシーン。 『RELIFE』 画面に写っているのは千葉雄大や池田エライザなんだけど、主人公カップルの中川大志と平祐奈はバ

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