ブックマーク / note.com/segodnya (2)

  • ソビエト・ロシアのアニメ|露傍の石

    におけるソビエト・ロシアアニメの代名詞的存在は、「カワイイ」の最高峰・チェブラーシカと、手塚治虫や宮崎駿にも影響を与えたユーリー・ノルシュテインであろう。しかしもちろん、ソビエト・ロシアアニメの世界は非常に多様で特殊で、そして未だ、ロシア国外では未知な部分の多い、隠れた宝庫だ。 強力な全体主義国家でありながら、ソビエトにおけるアニメーションにはプロパガンダ色は薄く、意外にものびのびした広がりを見せている。 シリーズアニメが少なく、その代わりに作家性が存分に発揮された短編アニメーションが数多く生み出されてきた。また、クレイアニメ、人形アニメ、切り絵アニメも豊富で、独自の魅力を放つのが特徴だ。 一方、数少ないソビエトのシリーズアニメは、ソビエト崩壊後も繰り返し放映され、またはソフト化され、何世代ものロシア人に愛され続けている。ソビエト崩壊に伴うアニメスタジオの民営化で、ロシアアニメは一転窮

    ソビエト・ロシアのアニメ|露傍の石
  • ソ連のTV放送(前編)|露傍の石

    ソ連のTVは、1939年にモスクワとレニングラードでの小規模な放送から始まった。第二次世界大戦に突入して暫く停滞するものの、終戦後は徐々に拡大して、各地に放送のネットワークができる。1967年にはモスクワから全土に放送可能になった。TVは重要な啓蒙・プロパガンダ装置でもあり、ソ連邦閣僚会議付属テレビ・ラジオ国家委員会の厳格な管理下に置かれていた。 とはいえ、TVがイデオロギー装置として格的に認知されるには、少し時間がかかる。当初は週に数時間~数日の放映で、映画やスポーツ中継が中心。時代はまだまだラジオ優位だったのだ。 1960年1月、ソビエト共産党中央委員会は決議「ソビエトにおけるテレビの今後の発展について」を採択。この中で、TVは「マルクス・レーニンのイデオロギーと道徳、およびブルジョア思想に対する敵意に基づく共産主義教育を国民民衆に施す重要な手法」と位置付けられた。 この文言はいかに

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