ブックマーク / www.repre.org (4)

  • 廣瀬純氏による拙著『眼がスクリーンになるとき』書評について | 研究ノート | Vol.36 | REPRE

    先日刊行された『表象 13』に、廣瀬純氏による拙著『眼がスクリーンになるとき——ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』(フィルムアート社、2018)への書評が掲載された*1。この書評は一貫して拙著に対して批判的であり、稿はその批判への反論をおこなうものである。したがって出発点として稿は消極的な性質のテクストだが、廣瀬氏による批判の考察をとおして、われわれふたりのあいだにある前提のちがいを突き止め、それを問いとして立てることができれば稿もたんに消極的なものではなくなるだろう。廣瀬氏が挙げる批判点はこれまでほかの論者から提起されたのと同様のものを多く含んでおり、ここでその代表として廣瀬氏の批判に応えることで、拙著に対するあるタイプの態度の根底にあるより一般的な問題を掘り当てることができるだろうからだ*2。 *1 廣瀬純「書かれている順番で読むことの難しさ」、『表象 13』、表象文化論学会、2

  • ハラスメントに対する取り組み | Association | 表象文化論学会

    »ハラスメント防止宣言 »ハラスメント防止ガイドライン »ハラスメントに関する相談の手順 表象文化論学会 ハラスメント防止宣言 近年、高等教育・研究機関におけるハラスメント事例が国内外で表面化し、ハラスメントを醸成する文化の迅速な変容があらためて要求されている。多種多様な文化的事象を解明し、諸力の交錯する政治的な行為の空間を考察する表象文化論学会にとっては、学会という組織やその活動もまたその解明・考察の対象のひとつであるとの認識に基づき、学会員とそれに関係する人々の権利と尊厳を不当に損なう力の行使を許容しない空間の生成と維持とが喫緊の課題であると考える。 宣言では、修学・教育・研究上や職務上の、あるいは性別、人種、民族、国籍、宗教、思想、年齢、性的指向、性同一性、外見、身体的特徴、障害の有無など人がもつさまざまな属性に基づく当事者間の力関係の非対称を濫用して、学会員とそれに関係する人

  • 文化庁による「あいちトリエンナーレ2019」への補助金不交付の撤回を求める会長声明 | News | 表象文化論学会

    文化庁は「あいちトリエンナーレ2019」に対して予定されていた補助金の全額不交付を決定した。これは補助金審査の結果という形式的な建て前を取っているものの、実質的には、脅迫等によって中止を強いられた「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」を特に問題視し、「あいちトリエンナーレ2019」全体に及ぶ措置を行った、事実上の検閲と呼ぶべき行為にほかならない。このような行為は、文化庁の活動が依拠すべき文化芸術基法前文に謳われた、「文化芸術の礎たる表現の自由の重要性を深く認識し、文化芸術活動を行う者の自主性を尊重すること」という理念に著しく相反するものである。 文化芸術の研究と実践に携わる者として、文化庁の今回の決定に強く抗議し、その撤回を要求する。 2019年9月28日 表象文化論学会 会長 田中 純

  • 「土である」という死の肯定 クトゥルー新世における思弁的寓話小説について | 研究ノート | Vol.33 | REPRE

    ダナ・ハラウェイが『困難(トラブル)と共にあること』(2016)の最終章に置いたのは、一篇のSF小説であった。2013年にフランスで開催されたワークショップで共作され、「カミーユの物語」と題されたこの物語が描くのは、近未来から数世紀先まで、地球上の動植物が大絶滅を迎える中、生態系と調和すべくゆるやかに人口を抑制して生きてゆく人々と、そのコミュニティで生まれ育つ5世代のカミーユである。主人公ともいえるカミーユたち「堆肥(コンポスト)の子ども」は、絶滅に瀕している種の遺伝子を組み込まれた共生生物として生まれた存在であり、共生相手の種が絶滅したとしてもその種が持っていた特徴を身体化しつづける。 共生、絶滅、そして記憶というテーマをランドール・マンローのウェブコミックから明確に引き継ぎつつも*1、題材を蘭の花から人に置き換えサイエンス・フィクションの趣向を加えた「カミーユの物語」からは、ハラウェイ

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