先日刊行された『表象 13』に、廣瀬純氏による拙著『眼がスクリーンになるとき——ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』』(フィルムアート社、2018)への書評が掲載された*1。この書評は一貫して拙著に対して批判的であり、本稿はその批判への反論をおこなうものである。したがって出発点として本稿は消極的な性質のテクストだが、廣瀬氏による批判の考察をとおして、われわれふたりのあいだにある前提のちがいを突き止め、それを問いとして立てることができれば本稿もたんに消極的なものではなくなるだろう。廣瀬氏が挙げる批判点はこれまでほかの論者から提起されたのと同様のものを多く含んでおり、ここでその代表として廣瀬氏の批判に応えることで、拙著に対するあるタイプの態度の根底にあるより一般的な問題を掘り当てることができるだろうからだ*2。 *1 廣瀬純「書かれている順番で読むことの難しさ」、『表象 13』、表象文化論学会、2