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2010年1月8日のブックマーク (2件)

  • マイクロソフト萩原正義氏MIJS講演「スケールアウト設計における問題点の考察と分析手法の提案」 : 小野和俊のブログ

    昨年末にMIJSのコンソーシアム内での交流会があり、前回のはてな伊藤さん講演に続き、理事会の方から講演者の選定とコンタクトを依頼されたので、マイクロソフトの萩原さんに「クラウドの時代のデータモデリング」の講演をお願いした。 今回萩原さんに講演をお願いしたのは、以前参加させていただいたマイクロソフト系のイベントでの萩原さんの講演が大変興味深い内容だったからだ。 以下、今回の講演を聞きながら私がメモした内容である。 「スケールアウト設計における問題点の考察と分析手法の提案」 現在マイクロソフトでクラウドの技術のうち、開発の現場に対して、どういうやり方をしなければいけないかを提案する仕事をしている。 今日お話しする内容は、インターネットや書籍で紹介されているものよりも、深いところを話していきたい。とはいえ1時間という短い時間なので、ポイントを絞って話をしていきたい。マイクロソフトはWindows

    マイクロソフト萩原正義氏MIJS講演「スケールアウト設計における問題点の考察と分析手法の提案」 : 小野和俊のブログ
  • 人の書いた「私が読んだ本のリスト」は、どうしてこんなに悲しいのか?

    人の書いた「私が読んだのリスト」は、どうしてこんなに悲しいのだろう? 昔々、糸井重里が言っていた、「思わず友達の家の夕を見てしまった悲しみ」に似たところがあると思うのは気のせいだろうか? 友人宅がどんな夕の席で歓談を楽しんでいようが沈黙しながらべていようが、自分の家と比べて、オカズが一品多かろうが少なかろうが、そんなことは来どうだっていいことだ。 それでも「見なきゃよかった」という感に不意におそわれることを糸井は言っていたのだと思う。 誰か見知らぬ他人が、司馬遼太郎を読んでいようが、『ローマ人の物語』を愛読書にしていようが、田中芳樹をリストに入れていようが、そんなことは来どうだっていいことだ。 そんなことは、その人の知性や智慧や知識や教養文化と、ほとんど何の相関も(きっと、多分、お願い!)無い。万一あったとしても、そんなことは来どうだっていいことだ。 どこかの国の最高裁

    人の書いた「私が読んだ本のリスト」は、どうしてこんなに悲しいのか?