1. もしも芸術が行為だったとして(行為そのものではないとしても、少なくとも行為から派生するものであるとして)、数多のプリミティヴな行為のなかで、どのようなきっかけから、それが峻別され浮上(ないしは沈殿)していくのだろうか。それは例えば、言語の習得や共同体の形成や貨幣の発生や武力の発展といったことと、なにがしかの連動性や相似性はないのだろうか。あるいは、社会における他の活動に比べ、芸術行為は有用でもなく機能的でもない、衣食住足りてはじめて可能になるような、補助的で傍系の位置にある余剰(余興)に過ぎないというのは、半分は本当だとしても、もう半分の別の側面がありはしないだろうか。すなわち、自分自身や誰かの生存と死滅に直結しないからこそ賭けるに値する行為というものは存在しないのだろうか? ここでは、もっぱら芸術作品が見ること観賞されることに奉仕する対象でしかない、という現在のステイタスを一端外し