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  • 後漢末の魯国について考える - 正史三国志を読む

    後漢末、魯国の情勢はかなり謎である。 これを考えてみたいと思っていたが ここのところ徐州について調査したところから 新たな気付きがあったので、それをまとめていく。 最初に地図を置いておく。 魯国以外で特筆すべきところを書いていくと、 以前も触れたが、黄河の流路の南遷である。 おそらく黄河に沿って東郡の北境、 平原の北境が定められたはずだが、 この頃には東郡と平原のど真ん中を突っ切るようになった。 これにより、三国魏の時代になると 東郡の黄河北岸は冀州に取り込まれる。 魏では平原も青州から冀州へ転属となるが おそらく同じ理由であろう。 次に、前回見た琅邪国である。 後漢の時代になってすぐに 山東半島の先端まで領土を広げた。 さらに、縦長の形をした泰山郡である。 これについては前回の調査により、 南部が徐州から編入となったことを確認した。 他に気になるところでは 凹の字型の山陽郡である。 これ

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