タレントのタモリ(69)、俳優の堺雅人(41)が20日、来年元日放送のNHKスペシャル『戦後70年 ニッポンの肖像 プロローグ 私たちはどう生きてきたか』(総合テレビ 後9:00)の収録に参加した。取材会にも出席したタモリは「以前から考えると、NHKに元日から出るというのは考えられないこと。驚いております」と心境を明かした。
10月22日の放送で『笑っていいとも!』(フジテレビ系)が来年の3月で終了することを司会のタモリ(68才)が報告。国民的長寿番組も32年目にして、ついに幕を閉じることになったが、長い歴史を持つ『いいとも!』には、これまで何度も“事件”が起きてきた。 その中でも印象深い“5大事件簿”を紹介する。 【黒柳徹子43分独占(1984年3月14日)】 テレフォンショッキングに出演した黒柳徹子(80才)が、タモリの制止も聞かず43分間もしゃべり続け、以降のコーナーが全てカットされた。 【有吉佐和子さんvsさんま大ゲンカ(1984年6月22日)】 同じくテレフォンショッキングのゲストとして登場した作家の有吉佐和子さん(享年53)は前述の黒柳同様、時間を守らずしゃべり続け、次のコーナーに出演するはずだった明石家さんま(58才)がたまらず飛び出してきて「早くどけ」と大ゲンカ。エキサイトしたさんまが
タレントのタモリさんが司会を務めて30年以上続き、ギネス世界記録にも認定された民放のバラエティ番組「笑っていいとも!」が、来年3月いっぱいで終了することになりました。 番組の終了は、22日に放送された番組の中で、タレントの笑福亭鶴瓶さんの問いかけに、司会のタモリさんが「来年の3月で終わります」と答えるかたちで、明らかにされました。 「笑っていいとも!」は、昭和57年に放送が始まったフジテレビのバラエティ番組で、日替わりのゲストとタモリさんが軽妙な会話を繰り広げる「テレフォンショッキング」などさまざまなコーナーで人気を集めました。 テレフォンショッキングの第1回のゲストは、歌手の桜田淳子さんでした。 番組は「○○してもいいかな?」「いいとも!」や、「友だちの輪」など多くの流行語を生みながら平成14年には放送5000回を超え、単独の司会者による生放送の長寿番組としてギネス世界記録に認定され、そ
フジテレビ系「笑っていいとも!」(月~金曜正午)が来年3月いっぱいで終了することが22日、分かった。 今日22日の放送で発表した。タモリこと森田一義(68)が司会を務め、1982年(昭57)から放送を開始した長寿番組。タモリは「フジ(テレビ)が32年間守ってくれた。感謝しても感謝しきれません」と話した。 SMAP中居正広(41)は「本当に3月いっぱいで終わるんですか?」と念を押したが、タモリは「終わります」と繰り返した。エンドロールが流れる中会場の観客が「嫌だー!」と絶叫。それを受け「ありがとうございました。感謝です」と話し、放送が終了した。 同番組は02年4月、放送開始5000回目の達成記念に単独司会者による生放送の長寿記録として、03年版のギネスブックに認定された。
<1988年12月> 昭和最後の年越しとなった88年末、ラジオが一本の「実話童話」を放送した。この話が「涙なしでは聞けない」と評判を呼び、ついには社会現象になった。作者もマスコミの寵児(ちょうじ)となるが、過去を知る人に告発され、一転して疑惑の人に。 大晦日にFM東京は、「ゆく年くる年」の中で「一杯のかけそば」と題した童話を朗読で放送した。作者は民話の語り部活動を行っている栗良平(当時45)なる人物。 この作品は70年代初頭、2人の子供を連れた貧しい身なりの女性が、札幌のそば屋を訪ねるところから始まる。女性が頼んだのは150円の一杯のかけそば。店主は何も言わずに半玉をサービスし、親子3人はそのそばをおいしそうに分けて食べた。こんな交流が毎年、大晦日に数年間続く。 ところが、ある年から3人はパタリと現れなくなった。店主はその後も、大晦日は彼らの席を予約席にして待ち続けたが……。そして
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く