戦国時代の下克上を代表する武将、松永久秀(1508?~77)。将軍や主君を殺すなど、裏切りを繰り返した「梟雄(きょうゆう)」とされ、最後は織田信長に攻められ、茶器とともに爆死したともいわれる。ところが、天理大の天野忠幸准教授(日本中世史)の研究で、これらの逸話は後世の創作や誇張で、実際には忠義の人だったことが明らかになってきた。 江戸中期に岡山藩の儒学者が記した逸話集「常山紀談(じょうざんきだん)」は、徳川家康が信長に対面した際、信長は久秀について「普通の人が出来ないことを三つした」として、将軍を殺し、主君を殺し、東大寺大仏殿を焼いたと紹介し、久秀は汗を流して赤面した、と記す。 現代でも多くの小説やマンガ、ゲームなどに個性の強い悪役として登場し、天野准教授も「調査するまで、主君を裏切り、暴れまくるイメージしか持っていなかった」。 ところが、久秀は父親の名前…