hirams35のブックマーク (247)

  • うつ病日記-2003年10月上旬-

    点滴治療の開始 病気休暇から1ヶ月以上経過し、抗うつ薬も量を増やして治療してきましたが、症状になんら明るい兆しは見えてきませんでした。 以前は、朝方から午前中いっぱいが抑うつ症状のピークだったのですが、9月の後半になると、朝から深夜まで一日いっぱい重い気分が続くようになり、毎日泣き、そして自殺念慮も収まらず、眠れない日が続いていました。 さすがに私は、精神的にも肉体的にもかなり疲労してしまい、我慢が限界に差し掛かっていました。 は、主治医に入院についての話をしました。さすがにも面倒をみきれない状態になっていましたし、入院したほうが、その日の調子に合わせて医療措置をしてくれるので、苦しみがすこしは軽減されるのではないかという考えからでした。 しかし、主治医は、よっぽどの状態にならないと入院は勧められないと、反対しました。 今思えば、当時はよっぽどの状態だったと思うのですが、や両親など身

    うつ病日記-2003年10月上旬-
  • うつ病日記-2003年10月下旬-

    薬の副作用 点滴で、当座をしのぎながら、抗うつ薬の量を増やす措置も取られました。新たにプロチアデンという抗うつ薬が追加されました。 この薬は、精神活動を活発にさせる作用があるのですが、私には辛い副作用が出てきました。 抗うつ薬など、脳に作用する薬は副作用が多く、それに悩まされる方が少なくないとのことですが、私の場合は、それまで処方された薬では、便秘以外は、特別苦痛に感じる副作用は出ていませんでした。 それで、私は今回、はじめて薬の副作用に悩まされることになりました。 この薬が処方されてまもなく、抑うつ気分はさほど改善されないまま、私は毎日のように、副作用に悩まされるようになりました。 1週間後、すぐに私は主治医に、症状を話しました。その結果、プロチアデンは処方中止となり、飲まなくなってすぐに副作用はなくなりました。 人によって、抗うつ薬にも相性があることを身をもって私は知りました。 <投薬

    うつ病日記-2003年10月下旬-
  • うつ病日記-2003年11月上旬-

    うつ症状の改善 11月に入り、抗うつ薬を服用し始めてから約3ヶ月が経過しました。ここにきて、やっと抑うつ気分が改善されてきました。 早朝覚醒など、眠れない症状はまだ続いていましたが、重苦しい気分や自殺念慮、日内変動などが、大分緩和されてきました。 日中、起きていられるようになり、近所へ散歩に行ったり、テレビを見たり、テレビゲームで遊んだりすることができるようになってきました。 病気休暇に入ってから、しばらく会社とは連絡を断っていましたが、外出できるようになりましたので、社と職場へ挨拶に行くこともできました。 病前に従事していたプロジェクトは、私が休暇に入ってからも続いていましたが、私は担当からはずれ、別な部署へ異動する措置を会社は取ってくれていました。このころから、私は職場復帰を意識することを始めました。 私が働いていたプロジェクトは、話によるとさらに激務が続いており、不払い残業や、精

    うつ病日記-2003年11月上旬-
  • うつ病日記-2003年11月下旬-

    症状の再燃 症状が改善に向かったので、私はもう治るものだと確信していたのですが、そうではありませんでした。 うつ病は、良くなったり悪くなったりを繰り返しながら、回復していくものなのですが、当時の私には病気に対する知識がなかったので、勝手に「もう大丈夫」と思っていました。 それだけに、抑うつ症状が再び起こったときは、ショックを受けました。 気分が重苦しくなり、悲観的な思いに駆られて泣く日々がまた始まりました。 以前は、主に午前中に辛い気持ちになるのですが、この時期は、一日の中でふとしたことで急に抑うつ気分になり泣き出すような感じでした。特に、夕方の夕前によく泣きました。 また症状が悪くなったことで、わたしは挫折感を覚え、事が取れない状態になってしまいました。 事ができなければ、さすがに自宅療養は難しくなります。 は、べられなければ、入院してもらうしかないと判断し、そのことを私に伝え

    うつ病日記-2003年11月下旬-
  • うつ病日記-2003年12月-

    症状沈静化 私のうつ病は、発症からここまで来て、全体的には回復に向かっていました。しかし、抑うつ気分の波がまだ激しく、安定はしていませんでした。 その様子を診た主治医は、私に新しい抗うつ薬を処方しました。トレドミンという新しい薬でした。 抗うつ薬については、少し勉強していましたので、この薬が新しいこと、脳内の不安や抑うつをつかさどる部分に特異的に効くこと、副作用が少ないこと、などを知っていました。 実際に服用したところ、当初は頭痛や悪寒などの副作用らしき症状が出たものの、特に辛い副作用は出ませんでした。 この薬を飲んだ時期を境にして、再び私の抑うつ症状は治まってきました。 症状が回復したので、このトレドミンが効いたせいだと当時は思っていました。しかし、うつ病の回復には時間がかかります。ちょっと回復したからといって油断できるものではありません。ここでも、私は病気に対する知識の無さから、早まっ

    うつ病日記-2003年12月-
  • うつ病日記-2004年1月-

    回復と復帰 1月に入ってますます症状は安定してきました。 気分だけでなく、睡眠も安定するようになり、夜は寝て、昼間は起きて活動する、という健全な日常生活がおくれるようになってきました。 テレビゲーム音楽、スポーツなど、前まで好きだった分野にも興味を持てるようになりました。卓球へ行ったり、好きなアーティストのライブへ行ったりすることができるようになり、新聞など、活字も読めるようになってきました。 私は、ほぼうつ病が完治したと判断し、来月から職場へ復帰することにしました。ただ、いきなりフルタイム出勤は無理だと判断し、当初は時間短縮勤務を希望しました。 主治医も、症状がおさまった(寛解した)と診断し、2月からの職場復帰をあっさり許可してくれました。私が、診断書に時間短縮勤務を書いてくださいと依頼し、主治医はあわてて診断書に記載していました。 このころから、何となく主治医の診療の仕方に疑問を抱

    うつ病日記-2004年1月-
  • うつ病日記-2004年2月-

    職場復帰 以前の地方銀行システムを開発するプロジェクトから異動した私は、全国信用金庫のシステムを開発する部署へ配属され、2月2日付けで復職しました。 新しい部署は、新人のときに配属されたことがあり、職場環境や人間関係についての抵抗感は、あまりありませんでした。 まずは、9:30~14:30の半日勤務でスタートしました。 当初の1週間ぐらいは、特別決まった仕事はせず、資料を読んだり、いままで身に付けた技術や知識を復習したりしていました。体を慣らす感じで過ごしていました。 しかし、復職した以上、働かず遊んでいることは許されないと、上司に言われました。そして、取引履歴検索システムという新しいシステムへデータを移行するプログラム開発に従事することになり、新しい仕事が始まりました。また、日々何の作業をして、進捗はどの程度までか、ということを毎日報告するように命令されました。 これは、ある意味当然なこ

    うつ病日記-2004年2月-
  • うつ病日記-2004年3月-

    不安定な進歩 新しい部署での、プログラム設計作業は、現段階ではそんなに難しいものではありませんでした。 大まかな仕様は確定していましたし、期限にも余裕がありましたので、体慣らしとしては、最適な仕事でした。 ただ、それは別な病気や休暇でしばらく職場を離れていた方(つまりうつ病など精神病ではない方)にとっての話で、症状が良くなって、すぐ仕事というのは、私自身ストレスにもなりましたし、プレッシャーにもなっていました。 職場では、気が張っていたせいか、抑うつ症状は出ませんでしたが、帰宅すると、ベッドへ直行しバタンと寝てしまうほど、疲れが出ていました。 それでも、なんとか毎日出勤はできました。復職して1ヶ月経過して、とりあえず仕事ができているということで、勤務時間も14:30から15:30と、1時間延長しました。 余暇の時間は、テレビを見たり好きな音楽を聴いたり、ゲームをしたり、一応活動はできていま

    うつ病日記-2004年3月-
  • うつ病日記-2004年4月-

    見えないうつ病 不安定な要素を抱えながらも、仕事は順調にこなすことができていました。会社では元気な様子を見せていて、辛いと訴えることもなかったので、勤務時間はさらに延長され、月の前半は16:30まで、月の後半では、実質フルタイム(17:30)勤務となっていました。(産業医の指示では16:00まで) 私も、以前のように仕事もできないような抑うつ症状は自覚していなかったため、他人にも自分にも、現在の体調の客観的な把握はできていませんでした。 しかし、うつ症状の再燃のような状態は随所に見られるようになりました。某日、隣の繁華街まで車で運転中に、他人の車にぶつける事故を起こしました。 また、月の下旬には、事がいつもの半分までしかべられなくなりました。私は小柄で痩せ型なので、あまり多くはべないのですが、そのときは、普通のかけそばも半分しかべられないような状態でした。 も、不安定な私の体調を

    うつ病日記-2004年4月-
  • うつ病日記-2004年5月-

    変わらない自分 4月を過ぎて、新しい年度になり人事異動もありました。私の担当チームのチーフが、システム開発経験のない、別な人に替わりました。 新しい人は、私も新人のときから知っている能力のある方だったので、人間関係は心配していませんでしたが、経験のあるチーフがいなくなるのは、チームとして仕事量の配分、品質チェックや進捗管理などこれからのことを考えると、不安でもありました。 5月は、連休があったり、ライブに行くために有休を取ったりとで、休める日が多かったこともあり、さほど調子の悪い日はありませんでした。 そのためか、勤務時間も正式にフルタイム勤務となりました。出張と残業は産業医の指示で、当面は禁止という措置がとられました。 仕事の量も次第に多くなり、5月からは複数の案件を抱える状況になっていました。 また、私は今まで預金業務など銀行業務にからむプログラム開発をしてきたのですが、現在のチームは

    うつ病日記-2004年5月-
  • うつ病日記-2004年6月-

    破綻の兆し 6月に入ると、さらに別な案件も担当することになり、3つの案件をみることになっていました。会議などで、自然と残業してしまうこともあり、徐々に疲労感が増していくのが感じられました。 そして、とうとう抑うつ気分が表面化してしまい、今月は会社を4日休みました。抑うつ気分に加えて、早朝覚醒や自殺念慮まで出てきていました。完全にうつ症状が再燃していました。 点滴を受けてなんとか症状を紛らせながら、辛くても半ば泣きながら会社へ無理矢理行くような状態になりました。 帰宅したら、ほぼ毎日ベッドへ直行し、ぐったりしていました。好きなことにもだんだん無関心になっていき、生活するエネルギーが次第に失われていく気がしていました。 私は、そんな状態であることを上司相談しました。とりあえず上司には知っておいてもらい、何とか仕事を軽減してもらおうという思いからでした。 上司は医者ではありませんので、具体的に

    うつ病日記-2004年6月-
  • うつ病日記-2004年7月上旬-

    怒りと苦悩 7月に入り、私のうつ病は完全にぶり返してしまいました。 1週間の夏休みをもらいましたが、気持ちが重苦しく、泣いてばかりいました。病院にいく日、朝辛すぎてベッドから起きることもできず、病院に行く途中から、診療が終わって帰宅するまでずっと泣かないではいられないほどでした。 主治医は、その様子をみて、仕事は無理ではないかということを示唆する発言をしましたが、そのときの私は、少し自暴自棄になっていました。 「結局上司も病気のことをわかってくれなかった」 「先生(主治医)も休みなさいと強くは言ってくれない」 「もう誰も助けてはくれない、無理して働くしかないんだ」 半ば投げやりになっていました。 その週末、今後どうするかと話し合いました。働きながら治療する方法もあるが、思い切って休んだほうが直りが早いのではないか、という話になりました。しかし、私はうつ病による病気休暇を過去2回も取ってい

    うつ病日記-2004年7月上旬-
  • うつ病日記-2004年7月下旬-

    再び休職へ 週明け、部署の担当部長へ、診断書が出たので休みたい旨を申し出ました。部長は承認してくれました。その際、このシステム開発という仕事は自分に合っているのか?という質問をされました。 「今は分かりません」とだけ答えました。 この質問は、当時の私には「うちの会社では働けないんじゃないか?」という意味に聞こえました。後々まで私の頭の中を駆け巡り、強い挫折感を生み出すものになるのでした。 とりあえず3ヶ月の病気休暇をもらい、私はストレスから解放されました。休みが決まった時点では、少しすっきりした気持ちになり、花火大会などへ行ったり、アテネオリンピックをTV観戦したりして、気分転換を図りました。 休暇当初は、症状が一時沈静化した様子でした。 <投薬> トレドミン  75mg アモキサン  75mg アンプリット 45mg セダプラン  15mg ベノジール  15mg デジレル   50mg

    うつ病日記-2004年7月下旬-
  • うつ病日記-2004年8月-

    強い挫折感 8月は、オリンピック観戦をしたり、高校野球で地元の駒大苫小牧が活躍したこともあり、私も楽しく過ごすことができました。 元気なときに行っていた野外ロックフェスティバルにも再び行けるようになりました。時々公園で日光浴をして、肌を焼いていました。 楽しいことが、一通り過ぎた8月下旬ころ、私は再びあの忌まわしい抑うつ気分を感じ始めました。 日内変動や不眠の症状も見られるようになり、泣き出す日々が始まりました。 自殺念慮はさほどなかったのですが、その代わりに私はひどい挫折感を感じるようになりました。 「もう働くことができないのではないか・・・」 「もう社会復帰はできないのではないか・・・」 今まで一生懸命働いてきたのに、その代償が評価ではなく、うつ病であり、俺の会社人生はいったい何だったのか、と自分の運命を呪う気持ちになりました。 も、再び私の調子が悪くなったことに、ストレスを感じてい

    うつ病日記-2004年8月-
  • うつ病日記-2004年9月上旬-

    主治医への不信感 9月に入って、ますます調子は悪くなりました。ほぼ毎日、抑うつ気分に悩まされ、泣いている日が多くなってきました。 ライブへ行ったり、街へ買物へ行ったり、体育館へ体を動かしに行ったりしましたが、まるで楽しめず、かえって疲労感ばかりが増すようでした。 ここ数ヶ月、抗うつ薬の量も増えているのに、まるで症状に改善がないことに、私は疑問を持つようになりました。 「今の先生(主治医)でいいのだろうか・・・」 区の保健センターで、隔週で市近郊の精神科医が市民の相談を受け付けていることを広報紙で知り、行ってみる事にしました。 私は、これまでの経緯を一通り、その精神科医へ話しました。 その精神科医は、復職の判断やスケジュールについて、焦りすぎだと指摘しました。実際復職しても、フルタイム勤務へ移行するには1年ぐらいの時間が必要なこと、主治医との関係だけでなく、会社の上司も交えて3人でもっと話し

    うつ病日記-2004年9月上旬-
  • うつ病日記-2004年9月下旬-

    の苦悩と絶望 私は、完全にうつ病患者でしたが、病人扱いされることについて無意識に抵抗感がありました。気持ちがコントロールできないことに対する苛立ちから、そう思っていたのだと思います。 私はこの時期においてもまだ、うつ病としっかり向き合うことができていないようでした。 時には、あからさまに病人扱いするに対して八つ当たりをしたこともありました。 なりに、客観的に私の調子を把握し、夫が重病であるという現実に真摯に立ち向かって頑張っていました。 しかし、9月の下旬は、うつ病をぶり返してから、抑うつ症状がピークに達していました。 毎日憂な気分にさいなまれ、泣き始める私を見て、もさすがに絶望してしまったのでしょう。憂な表情を浮かべ始めました。そして、二人とも限界でした。 某日、いつもどおり午前中から泣き始める私を見たは、泣き崩れて、言いました。 「もうイヤだ・・・」 それを見た私は、

    うつ病日記-2004年9月下旬-
  • うつ病日記-2004年10月上旬-

    新たな決断 自宅の近所にメンタルクリニックがあることは、前から知っており、気にはしていました。 当時通っていたクリニックは、別な区なので地理的にも通うのに大変でしたし、予約制ではなかったので待ち時間が長いことも問題でした。また、真摯に話を聞くというよりは、患者を流れ作業でさばいているような印象があり、診療態度にも不信感を持っていました。 ちょうど、精神疾患対象者で「主治医以外の医者から意見を聞く相談会」というのが市のある保健福祉施設で行われることを広報紙で知り、早速足を運びました。 すると、近所のクリニックの先生が相談員として居ました。 私は、その先生を指名し、相談を受けました。 その先生は、とても印象が良く、懐が深い感じで、私の話にも真摯に耳を傾けてくれました。 先生は、現在の治療法は否定はしませんでしたが、復職の決断が早かったのと、フルタイム勤務へ移行する際の余裕のなさについては、指摘

    うつ病日記-2004年10月上旬-
  • うつ病日記-2004年10月下旬-

    新たな治療 新しい病院は、歩いていける場所にあり、地理的にも便利でした。午後3時に予約しましたが、診療に時間がかかり、診察をうけたのは午後8時過ぎでした。 私は、これまでの症状の変遷を仕事環境や私生活を交えながら、ノートに整理しました。そしてそれを新しい主治医に見せながら、話しました。 主治医の判断によると、それまで飲んでいたトレドミンが効いていないのではないか、とのことでした。また、トレドミンはさほど効き目が強い薬ではないことも話してくれました。 そして、血圧を測りながら自律神経の調子がグラフ状になって出てくる機械を用いて、現在の私の重病度を診断しました。 「これはだめだ!こんな状態で仕事してたら潰れてしまうわ!」 それを聞いて、私は安堵しました。ここまではっきりと診断してくれたことがなかったのですから。そして、自分は病人なんだという自覚が持てるようになりました。 病気休暇は、10月末で

    うつ病日記-2004年10月下旬-
  • うつ病日記-2004年11月-

    薬の効果 薬の処方は、デジレル以外は、抗うつ薬も安定剤も睡眠薬も全て一新されました。 パキシルを飲んだ当初は、微熱や体の不随意運動など副作用が出ていましたが、2週間くらい経つと副作用もなくなりました。 抑うつ気分は、日によって出たり出なかったり波がありましたが、それでも先々月よりは、大分マシになってきました。時折、先のことを考えて不安になったりしましたが、治ることを信じて、なんとかやり過ごすことにしました。 通院は週に1回のペースでした。その都度、血圧を測る機械で自律神経の調子を診ていました。 調子に波があり、不安定さはまだ抜けていませんでしたが、今までと違って客観的に自分の体調を知ることができるので、日々のケアにも役立ちました。 新しい病院の治療方針に、私はかなり安心感を持つことができるようになりました。 特に改善されてきたのは、睡眠でした。それまでは、寝る前に6錠ほどの大量の薬を飲んで

    うつ病日記-2004年11月-
  • うつ病日記-2004年12月-

    主治医と上司 病気休暇の期限は、12月末まででした。しかし、年明けからいきなり復職できる自信はありませんでしたし、症状の回復具合を考えても無理でした。 診断書を書いてもらえば、期間は延長できるのですが、私は、病気のこと、現在の体調では仕事は難しいことを上司に知ってもらいたかったのです。 9月に、区の保健センターで某精神科医と面談したときに、会社の人も巻き込んで対応するべき、というアドバイスを思い出しました。 そこで、上司に病院に来てもらい、直接主治医と面談し、主治医から病状について説明してもらおうと考えました。 部署の担当部長へ連絡し、了承を取りました。面談の日まで不安が続きましたが、当日は無事病院まで来ていただきました。 診察まで若干待たされましたが、いつもより早く診察が始まり、いつもの視察が終わったあと、部長を交えて三者面談を行いました。 主治医は、現在は調子にまだ波があること、パキシ

    うつ病日記-2004年12月-