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廃墟に関するhiroishizawaのブックマーク (6)

  • Engadget | Technology News & Reviews

  • 萩原健一の追悼呑みするなら「傷だらけの天使」の屋上ロケで使われたココだろ! : himag

    2015年4月に創刊したhimagは「ライブドアブログ OF THE YEAR 2015」話題賞を受賞!8年目に入り累計記事3600、来場者426万人、631万PVのライフログに成長しました! 平成もあとわずかという2019年3月28日に萩原健一が亡くなっていたと報道された。 「傷だらけの天使」をリアルタイムに見ていた人にとってあの屋上は記憶に残るものだ。この動画でも3分34秒くらいに出てくる。 このロケに使われたビルはまだ存在している。それも廃墟一歩手前のところなのだ。 中央線や総武線で東京方面に通勤通学してる人は代々木を越えてすぐ右の車窓に今にも崩れそうなビルを見たことがあるだろう。あれが「傷だらけの天使」の屋上シーンで使われたビルなのだ。 屋上にはネットが貼られておりさながら解体寸前といった趣きだ。 かつての盛況を思わせる看板も残っているが現在はほとんどのテナントが出てしまっている

    萩原健一の追悼呑みするなら「傷だらけの天使」の屋上ロケで使われたココだろ! : himag
  • むごすぎる…全てが破壊されたシリアをドローンがとらえた | sorae.jp : 宇宙(そら)へのポータルサイト

    シリアのドローン空撮映像が戦争の悲惨さを伝える 内戦が続き、自国民が大量に難民として流出している シリア 。政府軍と反体制勢力、それにクルド人やイスラム原理主義勢力も含め、泥沼の状況が続いています。今回 ドローンが撮影 したのは、同国西部の都市「 ホムス 」。全てが破壊し尽くされたホムスの映像は、平和な日に暮らす私たちにはあまりにもショッキングなものです。 http://www.vimeo.com/153680383 ホムスはホムス県の県都で、アレッポとダマスカスの中間に位置します。かつては古代ローマ時代に交易で栄えた同都市ですが、現在は内戦の影響で都市部は破壊しつくされてしまいました。こんな場所に人が住めるのか…と思わず思ってしまいますが、動画を見ると確かに車や人影が確認できます。 現在たくさんのシリア人は自国の状況に見切りをつけ、難民としてヨーロッパ諸国への移住を試みています

    むごすぎる…全てが破壊されたシリアをドローンがとらえた | sorae.jp : 宇宙(そら)へのポータルサイト
    hiroishizawa
    hiroishizawa 2016/02/07
    ここまで壊すの大変だよな
  • 泊まったホテルがヤバい件

    1週間に渡る九州旅行中の寝過ごしのプロ一行。大分県内のとあるホテルに入ったのですが・・・。 ※立入禁止などの規制が敷かれたエリアではありません ※人からの強い要望により土産のにわかせんべいと引き換えにとぅぎゃります。 ※setsunantokasanの写真が白くもやがかかっているのは仕様です。

    泊まったホテルがヤバい件
  • たった6ヶ月後なのに、五輪会場が大変なことに…

    ゴーストタウン化した高級住宅街?と思ったら…。 6ヶ月前に開催されたソチ五輪会場の風景なんです! ロシア人の写真家Alexander Belenkiyさんが撮影した数々の立派な建物には人の気配が無く、びっくりするぐらいゴーストタウン化してしまっていました。 Belenkiyさんは今年8月の初旬にソチの近くにある街で、五輪とパラリンピックでフリースタイル競技とスノーボード競技の開催地となったロザ・クトールへ、ソチ五輪から6ヶ月後の街がどんな感じになっているのか気になり、写真を撮りに行ってみたそうです。すると、そこはゴーストタウン、巨大な不毛地帯、見捨てられた街というような言葉がピッタリな場所に変化していました…。 写真の中の荒涼とした風景を見ていると、五輪開催時は盛り上がるけど、その後の姿がこんな風になってしまうなんて…。ソチだけでなく、多くの五輪のホスト国は準備のための経済負担がハンパない

    hiroishizawa
    hiroishizawa 2014/08/28
    F1大丈夫か...?10月12日鈴鹿の翌週開催だぞ
  • 軍艦島を360度 普通に行ったら絶対見られない絶景パノラマ:その1 - 週刊アスキー

    長崎県端島。通称、軍艦島。当の島の名前よりもその通名の方が有名かもしれない。石炭産業で栄え、ピーク時には世界一の人口密集地帯という時代もあったこの島は、1974年の炭坑の閉山とともに無人島となり、今や島全体が廃墟となっている。海上から見た島の姿が軍艦のように見えることからその名がついたと云われているが、今回撮影のためチャーターした船が夜明けとともに島に近づくにつれ、正しくその通りだと思えた。 度重なる埋め立てと、複雑に増築を重ねた結果できあがったその独特の島影。明治から昭和40年代後半まで100年近く人が住み続けてきたこの島も、閉山からおよそ40年が経ち、そのあいだにもあまりに激しい風雨や台風にさらされ続けてきた。日最古の鉄筋コンクリートの高層住宅を含む建造物群も損傷が非常に激しく、倒壊の危険がある。このような島全体という大規模な廃墟群は世界でも珍しく、世界文化遺産暫定リストに入ってい

    軍艦島を360度 普通に行ったら絶対見られない絶景パノラマ:その1 - 週刊アスキー
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