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ブックマーク / blog.livedoor.jp/markzu (2)

  • ホンダの2009年F1マシンが明らかに: ホンダRA109の空力学的開発 : F1通信

    三栄書房の協力を得た。 ホンダは「第3期」の活動中、ひとつ以上の風洞プログラムを実施した。ブラックリーのホンダF1チームは、現場に2基の風洞があったが、日の童夢には3基目の風洞があり、これも使用されていたと見られている。ブラックリーの施設がブラウンGPに変わったあとでも、ホンダR&Dのエンジニアは日でRA109を開発していたと思われる。 RA109はノーズコーンの設計を見れば、BGP001とは違うことが即座にわかる。BGP001は比較的広くて低いノーズ(下図)であるが、RA109はかなり小さくて幅の狭いノーズをしている。 ノーズは、さまざまな形状や設計コンセプトを評価する必要があると感じていたホンダのエンジニアが注力していた部分だった。全体的なフロント・ウィング設計は、ブラウンに比べるとかなりベーシックに見えるが、製図板にはかなり進んだコンセプトが描かれていた。 上の画像は、ホンダR&

    ホンダの2009年F1マシンが明らかに: ホンダRA109の空力学的開発 : F1通信
  • 昔のF1マシンのカラーリングを今のマシンに適用したら : F1通信

    1991年ジョーダン191 エディ・ジョーダンの最初のF1マシンは、ゲイリー・アンダーソンにより優雅な作品だった。さらに魅力的な緑と青のカラーリングというプラスもあった。 緑色はアイルランドのチームにぴったりだったが、緑色が採用されたのは、主に7upとの提携によるものだった。ジョーダンは、アイルランドでの売り上げが多かったため、7upブランドとスポンサーシップ契約を目指した。 ジョーダンはベルトラン・ガショーの助けを借りて、ロンドンで7upの取締役会で宣伝するつもりだったが、1990年12月の会議にガショーは出席しなかった。ジョーダンはスポンサーシップ契約を結んだが、ガショーが出席しなかった理由が判明したのは夏になってからだった。 彼は、ハイドパークの角でタクシー・ドライバーと口論になり逮捕されたのだった。この年の夏、彼は実刑判決を受け、それがミハエル・シューマッハのグランプリ・デビューに

    昔のF1マシンのカラーリングを今のマシンに適用したら : F1通信
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