パリでのテロ事件に関連して、一部の人が 「パリの死を悼んで、アラブで日常的に起きている死を悼まないのは先進国の偽善だ。今回のテロはその問題を提起したことに一定の意義がある」 などという趣旨の意見を表明しているので、憤りを覚えている。なのでこれを機につたないながら という根本的なことについて考えたことを少しまとめておくことにしたい。 まず結論から言うと、テロを肯定してはいけないのは、テロが民主主義の普遍的なルールに則っていないからである。以下にざくっと民主主義成立の過程についてまとめる。(単純に汎用化しすぎているので一部誤謬もあるかもしれないが、そこはご容赦いただきたい。) ================== 【自然状態】 人間が社会集団を形成するようになってから、社会集団内での序列を巡る闘争を解決する手段として個人の暴力が、また社会集団同士のいざこざの解決する手段として集団による暴力が日
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