一人一人が思い思いに 私が好きなのは「一人一人が思い思いに」という市民社会だ。みんな一斉にある方向を向いたり、背いたり、これが正しいとか、意味があるとか、そんな風に押し付けてくるようなことは嫌だ。誰だって、本当は、そうではないのだろうか? そんなことを言っていられるくらい、お気楽な立場なのかもしれない。まあ、いいや。自分が嫌だから、できるだけ、それに加担したくはないだけだ。 だから、今から書く青木淳さんの批評も、そんなふうでありたいと思う。これ以外は正しくないとか、意味がないだとか、私が一生の仕事として選び取った建築の歴史と批評が、そんな主張のためにあると思われたら心外だ。「一人一人が思い思いに」を拡大する手がかりとなることが、歴史・批評の本来の目的だろう。そのことは、来た仕事を一つひとつこなしていけば、伝わるところには伝わるはず。それで社会がより良くなると信じている。 上述の文章の「歴史
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