日本で「プライヴァシー権」が初めて法的な争点となった三島由紀夫の「宴のあと」事件や、最高裁にまで争いが及んだ柳美里の「石に泳ぐ魚」事件をはじめ、作家が特定の人物をモデルに書いた小説をめぐって無数のトラブルが生じてきた。 そのもっとも新しいケースが文藝春秋社の文芸誌「文學界」2021年9月号に直木賞作家の桜庭一樹が「初めて私小説の形で書いた」(8月6日のTweetより)という「少女を埋める」をめぐって、「朝日新聞」の文芸時評で同作を取り上げた翻訳者の鴻巣友季子と桜庭との間で交わされた論争である。 同作は桜庭を思わせる東京在住の作家・冬子が入院中の父が長くないと母から聞き、7年ぶりに故郷の鳥取に帰るところから始まる物語なのだが――モデル小説の歴史から見ると、今回のトラブルはきわめて奇妙な点がいくつかある。 日本の近現代文学上のモデル小説のトラブルの歴史を扱った『プライヴァシーの誕生』(新曜社)