タグ

震災に関するhiruhikoandoのブックマーク (6)

  • AVが描いた震災 - ダリブロ 安田理央Blog

    これは2011年に「WJC」という雑誌に書いたコラムですが、AVから「ドキュメント性」が失われつつある今、ちょっと再掲載してみたくなりました。90年代に一部の文化人に熱狂的にAVが支持されたのは、このアナーキーなドキュメント性によるものであり、それは映像表現の新しい可能性を見せてくれるものでした。それが近年、ドキュメント性を打ち出すことが難しくなり、そして今回の「AV新法」によって完全に失われてしまうのはやはり残念に思います。 AVが描いた震災 地震から約一週間後の3月19日に「ビデオナイト」というイベントに出演した。出演者がレアな……、というか奇妙変なビデオを持ち寄って上映し合うというイベントで、基的には不謹慎極まりない内容なのだが、自粛せずにあえて開催した。 この日も、カルト宗教のPRビデオや、冗談としか思えない絵柄のタトゥーを全身に入れた女のビデオなどフリーキーな作品が次々と上映さ

    AVが描いた震災 - ダリブロ 安田理央Blog
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2022/06/12
    以前ある女優さんに夢中になって出演作を漁りまくってたが、その中の一本で撮影期間中に阪神大震災が起こりその追悼の言葉を女優さんが言うシーンがあった。当時みんな何か残さなければならない使命感があったと。
  • “出稼ぎ”キャバクラ嬢 復興バブルはじけ…不夜城から次々去る 仙台の歓楽街・国分町+(1/5ページ) - MSN産経ニュース

    東日大震災からの復興に伴う労働力の流入を背景に“復興バブル”に沸いた東北最大の歓楽街、仙台市国分町。震災直前は約600店だったキャバクラは昨年末までに761店まで増加し、東京や大阪などからの“出稼ぎ”も多くみられた。しかし震災から2年を経た今、客足は落ち着き、「給料が払いきれなくなり、東京や大阪の女の子は仙台を去った」(国分町の飲店経営者)との声があるなど、街は冷え込み始めている。被災地の歓楽街を追った。(地主明世) 「被災地応援のため、東京から女の子が駆けつけています」「大阪の元気を被災地に」 きらびやかなネオンが輝く仙台市中心部の国分町。東京の新宿歌舞伎町には及ばないけれど、東北随一の不夜城だ。そこかしこにあるキャバクラの看板は、被災地外のさまざまな地域から女性従業員が集まっていることを宣伝している。路上には客引きの若い男性が「お客さんどうっすか」などと行き交う酔客に声をかける。 

    hiruhikoando
    hiruhikoando 2013/05/05
    まあにわかでも繁盛して欲しい気もあるけどとっとと落ち着いてほしいのが本音だろうなあ。
  • 「セレモニー」を事故に変えてしまったあの暴言 想定外すぎて対応できなかった新聞記者たち | JBpress (ジェイビープレス)

    前回の「セレモニー記事」について、こうした「取材先が用意した取材用のメディアイベント」が報道に与える弊害をもう少し書いておきたい。 7月3日に訪問先の岩手県庁や宮城県庁で暴言を吐いて辞任せざるをえなくなった松龍元復興相の言動を、新聞各紙が最初どう報道していたかを点検してみて、これが典型的な「セレモニー」だったことに気づいた。 驚いたことに、朝日、読売、毎日ともまったく松発言を初報で「問題だ」と認識した形跡がない。暴言であるとすら提示してない。読売に至っては、放言あるいは暴言であると提示すらしていないし、毎日の記事を読むと松大臣はずいぶん立派な人物に見える。 発言の翌日、7月4日になって騒ぎが広がって、あわててその論調で同日夕刊をつくった。つまりインターネットを含むほかのマスメディアの動きを見て「問題だ」と言い出した。そして5日には松大臣の陳謝を各紙が大々的に伝えた。 要するに、3社

    「セレモニー」を事故に変えてしまったあの暴言 想定外すぎて対応できなかった新聞記者たち | JBpress (ジェイビープレス)
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2011/08/11
    とはいえこの一連の発言がそれほど重大な「事件」だとは未だに思えないのだが。烏賀陽氏にとって屈辱的な事件であったかもしれないが。
  • 被災地のラブホテル 連日満員で子供連れ家族の明るい声響く│NEWSポストセブン

    石巻市と隣接する宮城県涌谷町のラブホテル。ビジネスホテルより広めのそのバスルームでは、部屋の内装には似つかわしくない、子連れの家族の明るい声が響いている。 「お風呂、久しぶりだね~」「あったかくて気持ちいいね~」 普段、ラブホテルは男女2人で入る場所であり、風営法上、未成年は入ることができない。しかし、このラブホテルは違反を承知で、被災者の家族に部屋を提供している。 内陸部に位置し、沿岸部に比べて震災の被害は少なかったものの、ガスや水道が止まり、再開したのは3月25日。壁紙が剥がれたり、水道管やボイラーが壊れるなどの被害が出たため、復旧作業をしながらの営業だという。 「石巻市内のラブホテルの多くは海岸に近い場所に建っていて全滅状態。それもあって、『いつから再開するのか』と毎日、何十件も問い合わせがあった。営業再開に当たっては、社長が地元のFM局に頼んで、『ホテルは営業しています。お風呂にも

    被災地のラブホテル 連日満員で子供連れ家族の明るい声響く│NEWSポストセブン
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2011/04/15
    人には言えない仕事の人は疾しい気持ちが強い分心意気を大事にすると聞いた事がある。誰かが大きな声で引っ張って、ではなくて同時多発に自発的にというのが素敵過ぎる。
  • ダンプ疾走、30人救う 仙台・蒲生で土建業の男性ら (河北新報) - Yahoo!ニュース

    仙台市宮城野区蒲生地区で震災発生時、地元の土建業の男性が、住民ら30人余りをダンプカーで運び、救助していた。会社周辺と避難所の中野小を往復しているうちに津波は背後まで迫ったが、必死の運転でJR中野栄駅付近に逃れることができた。救助された住民は「ダンプに乗せてもらえなかったら、確実に津波にのまれていた」と感謝している。 男性は泉区の土建業小野喜満さん(41)。実家と会社は蒲生地区にあり、3月11日は会社近くの現場で作業中に地震に遭い、大津波警報のサイレンを聞いた。 すぐに路上にいた高齢者らを2トンダンプの荷台に乗せ、南西に約500メートル離れた中野小に搬送。おいの小野亮輔さん(22)ら若い住民の力も借りて、2往復で約10人を学校へ送り届けた。 もう1往復しようと、会社付近に戻ったころ、津波が蒲生干潟の方から防波堤を越えて来た。周辺の家屋は次々と崩れ、中野小に向かう道も刻々と水位が上がっ

    hiruhikoando
    hiruhikoando 2011/04/07
    ここに英雄がいた。
  • 宮城の山道に女児の遺体 生後数時間、被災した親が遺棄か (産経新聞) - Yahoo!ニュース

    27日午前7時ごろ、宮城県石巻市渡波の山道で、生まれたばかりの女児の遺体を通行人が発見し、近くの住民を通じて県警石巻署に通報した。同署は東日大震災で被災した母親らが子育てに困って遺棄した可能性もあるとみて捜査している。 同署によると、女児の遺体はへその緒がついたままの裸の状態。発見時、体に付着した血液が乾いていなかったという。生後数時間しか経過していないとみられ、同署は遺体を司法解剖して詳しい死因を調べる。 現場は、石巻市中心部の東約5キロの山道で、津波の被害はない。同署は、女児の母親らが避難所生活をしている可能性もあるとみている。 【関連記事】 東日大震災 宮城1県で「阪神」の死者上回る 濃度1000万倍は誤り「別の放射性物質と取り違えた」 「これが現実だよ…」国会議員らを襲った悲劇 長引く避難所生活 被災者に広がる無気力 写真とメールが物語る 黙して語らぬ自衛隊員の

    hiruhikoando
    hiruhikoando 2011/03/28
    どうしようもなかったのだろう。言葉も出ない。
  • 1