せっかくアクセスが増えている(5日も1463IPで史上3位。gooブログ全体で188位)のだから、多くの人に読んでもらいたいことを書こう。 テーマは、漢字の書体だ。 最近、活字の字体が正しい-という思いこみを持っている人が多く、活字の書体と手書きの書体が必ずしも一致しないことがあることを、わかってもらえない場合があり、いささか困っている。 パソコンの書体が、異体字があったりなかったりで、実にいいかげんであることが、混乱に拍車を掛けているような気がする。 たとえば、先日の読売新聞でも紹介されていた例だが、活字の「令」と、手書きの「令」は、異なる。 手書きでは、「今」という字の左はらいに「、」をつけたような字体になる。小学校でもそう教えているし、教科書体でもそうなっている。 ところが、銀行の窓口で、自分の名前をそう書いたところ、行員から、活字と異なるので直せと言われた人がいたというのだ。 活字
1971〜72年に起きた「連合赤軍事件」で、新左翼運動の仲間を殺害した罪などに問われ、93年に死刑が確定した元連合赤軍幹部の永田洋子(ひろこ)死刑囚が5日午後10時6分、東京・小菅の東京拘置所で病気のため死去した。65歳だった。法務検察関係者によると、死因は脳腫瘍(しゅよう)による多臓器不全とみられる。 永田死刑囚は東京都出身。連合赤軍の実質的なリーダーの1人だった。内部抗争の末、71年8月に仲間2人を殺害した「印旛沼殺人事件」、71年12月から72年2月にかけて「総括」や「処刑」と称して群馬県の榛名山などで12人を死なせた「山岳ベース事件」などにかかわり、72年2月に逮捕された。同月下旬に警察官ら3人が殺害された「あさま山荘事件」には関与していない。 同じく連合赤軍幹部だった坂口弘死刑囚(64)らとともに裁判を受け、82年に東京地裁で死刑判決。86年に東京高裁が控訴を棄却し、93年に
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