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ブックマーク / ten-navi.com (4)

  • モーニング娘。になれなかった女、なろうとしなかった女。|小沢あや

    わが人生、モーニング娘。と共にあり 私は20年来のモーニング娘。ファンだ。 人生の3分の2を、モーニング娘。と共に歩んでいる。モーニング娘。が結成されたのは1997年。彼女たちがブレイクするきっかけとなったオーディション番組『ASAYAN』を、小学生だった私はい入るように見ていた。当時のメンバーは自分より少し年上。色っぽく歌う姿に魅了されていた。 金髪で加入してきた後藤真希さんには度肝を抜かれたし、2001年にはついに自分と同い年の高橋愛さんが加入し「愛ちゃんが頑張っているので観なきゃ!」という感覚が芽生えた。もともとは「何者」でもなかった普通の女の子たちが猛レッスンで努力し、アイドルスターとして輝いていく姿に心を打たれ、気がつけば涙していた。 社会人となった今も、私は変わらずモーニング娘。を追い続けている。 モーニング娘。’19を擁するハロー!プロジェクト(以下、ハロプロ)は、容赦なく

    モーニング娘。になれなかった女、なろうとしなかった女。|小沢あや
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2019/06/20
    全部読んでふと漏れた言葉が「鞘師、元気かなあ…。」
  • 29歳、人生に詰んだ元アイドルは「赤の他人のおっさん」と住む選択をした|大木亜希子 | Dybe!

    2017年、11月某日。 得意先に向かう途中、私は突然、足が動かなくなった。 「動かない」というのは、比喩ではない。文字通り、足が一歩も前に進まない状態になったのだ。 日比谷駅で。 肉離れをしたわけでもなく、脚の神経が故障したわけでもない。 ただ、PC上で強制終了が選択されたように、「歩くのやーめた」という号令が脳に降り、それきり司令塔は機能しなくなった。 その数分前まで自分を苦しめていた「彼氏が欲しい」「給料上がれ」といった煩悩のダムは、静かに決壊した。 かすかに電車がやってくる音がして、「黄色い線の内側をお歩き下さい」という駅員の怒号が飛ぶ。 ギリギリのところで車両はかわしたが、はたして悟る。 「これはきっと、しばらく何をしても動かねぇな」 予想は的中した。 その後も数十分間、の裏が地面に接着剤で固定されてしまったような状態が続く。 狭いホームで、通勤バッグを抱えたアラサー女が一時停

    29歳、人生に詰んだ元アイドルは「赤の他人のおっさん」と住む選択をした|大木亜希子 | Dybe!
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2018/12/17
    ひとつだけ、俺はささぽんになれない。以上。(佐々木さんなんだろうな)
  • 相方が売れて闇落ちした僕が「好き」を発信したら年収800万円になった話

    成功している同級生がまぶしい。Facebookでの、みんなの近況報告に嫉妬してしまう。「なんで自分だけうまくいかないんだろう?」「自分のほうが努力しているのに」。そんなネガティブな思考に陥ってしまうこと、あると思います。 当は卑屈な自分を受け入れ、ありあまる負のエネルギーを前向きな方向につなげたい。でも、立ち直り方がわからない。そんな時におすすめしたいがあります。『ただのオタクで売れてない芸人で借金300万円あったボクが、年収800万円になった件について。』(小学館)です。 著者は、お笑いコンビ天津の向清太朗さん。向さんは「吟じます」のエロ詩吟でおなじみの、木村さんの相方です。「大ブレイクした相方を横目に、嫉妬で闇落ちしてしまった」と話す向さんですが、現在は漫才など芸人の仕事のほか、”副業”のライトノベル原作やイベントプロデューサーとしても大活躍。漫才にこだわらず好きなことをやろうと思

    相方が売れて闇落ちした僕が「好き」を発信したら年収800万円になった話
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2018/09/22
    ”ひとつひとつの仕事について、お前だからきたオファーなのか、他のヤツでもできる仕事なのか考えろ“フット後藤のこの言葉はすごい。
  • 僕らは1UPキノコなんていらなかった|Pato

    は泣いていた。 もう10年くらい前になるだろうか。この季節になると必ず思い出すことがある。この年になると誰かに褒められたり怒られたりすることはほとんどない。直接的に評価されることがほとんどないのだ。ただ、確かにあの時はそれがまるで人生のすべてと考え、欲していた。誰かに評価されたかった。だから山は泣いていたのだ。 笑い声と喧騒、そして過剰なまでに元気な店員の声とで満たされた居酒屋で、山は泣いていた。通路向こうのテーブルで女の肩を抱き、緩みきった情けない表情を見せているロック歌手風の男が見せるその笑顔とは対照的に、山はただ泣いていた。 (写真:naka/PIXTA) 「俺、もう辛いわ」 山はそう切り出すと、ジョッキの生ビールを空にし、また泣いた。久々に会うことになった山は僕の知っている山ではなかった。彼は自信に満ち溢れていたし、受験や就活といった人生の節目において、常に理想を実

    僕らは1UPキノコなんていらなかった|Pato
    hiruhikoando
    hiruhikoando 2018/07/26
    文間から垣間見れる谷岡くんのろくな現在ではなさそう感。
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