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2013年7月24日のブックマーク (6件)

  • スク水洗車 カフェ&撮影会inアキハバラ:Top

    れいか「スク水洗車、終わっちゃったねー」 やよ「お客さんたち、すっっっごく楽しそうでした!」 17号「お客さんたちと色々お話できて私も楽しかった!」 放課後の部室でスク水洗車の思い出を語る部員たち。 しかし顧問の先生は浮かない顔をしてポツリ。 先生「・・・そろそろ我が部も文化祭の出し物を決めないとな。今日が締め切りの。」 一同「忘れてたー!!」 見るに見かねた部長はため息を一つつくと、おもむろに調理実習で使った器をカバンから取り出し、 部長「(ガサゴソ)せっかくスクール水着も着慣れたことだし、思い切って、スク水カフェやろうよ!」 れいか「うん!撮影会もやってみんなでお祭りを盛り上げようよ!」 一同「ぉぉおおおおー!!」 先生「さすがは百戦錬磨の猛将だな・・・」 幻想(そういえばウチって何の部活なんだろう・・・) かくして、部員たちは再びスクール水着に身を包み、「スク水カフェ&撮影会」に臨

  • dragoner.ねっと: ミリオタ宮崎駿の少年時代

    私はまだ観ていませんが、ツイッターでも評判が良いので、時間が出来たらすぐにでも観たいと思います。 ところで、風立ちぬが零戦設計者の堀越二郎の話であることから見ても分かるように、宮崎駿はかなりのミリオタです。それも、ミリオタ、ロリコン、社会主義者と、1つでも業が深いモノを3つも抱えた3重苦です。恐ろしく業が深い人間です。 こんなたくさんの業を抱える前、若き日の宮崎少年はどんな人物だったんでしょうか。 それを窺わせるものが、ネット上で話題になったことがありました。 それは、若き日の宮崎駿(17歳)の「世界の艦船」誌への投稿です。 この投稿は「世界の艦船」1958年5月号の読者欄に掲載されたものです。ネット上では、この部分しか出まわっておらず、何故宮崎駿がそれを書き、その後どうなったのかの経緯は明らかにされていませんでした。 今回は、宮崎駿がこの投稿を書いた背景と、その後の展開についてご紹介した

    dragoner.ねっと: ミリオタ宮崎駿の少年時代
  • 【柔道】全柔連・上村会長辞めない!内閣府辞任勧告も徹底抗戦:その他:スポーツ:スポーツ報知

    【柔道】全柔連・上村会長辞めない!内閣府辞任勧告も徹底抗戦 稲田内閣府特命担当大臣から勧告書を手渡された全柔連・上村会長(右) 全日柔道連盟(全柔連)の上村春樹会長(62)は23日、全柔連に組織改善への勧告を出した内閣府の公益認定等委員会へ徹底抗戦する姿勢を示した。この日、稲田朋美内閣府特命担当大臣(54)から手渡された勧告書は、上村会長への事実上の辞任勧告で、8月31日を改善案の回答期限とした。だが、上村会長は10月までの続投を表明するとともに、「どっちが(同委か全柔連か)正しいか見てもらう。ダメだったら仕方ない」と話した。 史上初の不名誉は、どこ吹く風。公益認定等委員会からの勧告は、上村会長の胸に響かなかった。稲田大臣の大臣室で勧告書を受け取った直後は、「辞任時期を前倒しする可能性もある」と殊勝に語ったが、城である講道館に戻ると腹が据わった。「私に関してはキチンとめどがついたらと言っ

  • 「それどういう意味?」→「定義は?」→「言語ゲームにより無意味」→「言語は文化が作るもの」→「それどういう意味?」

    レベル1 「それどういう意味?」議論をしているときに、意味を尋ねるという論法がある。 相手の言葉の意味がはっきりと分からないときっちりした議論が進められないからだ。 レベル2 「定義は?」理系にありがちだが、 論理性に自信がある人が使いがち。 定義をきっちりすれば、物事を杓子定規に説明できるはずだと思っている。 レベル3 「言語ゲームにより無意味」言語ゲームという哲学的思考がある。 20世紀哲学の最大の発見だと言われている。 なぜ最大の発見かというと、哲学的な諸問題のかなりの部分を終わらせたからだ。 「人間の生きる意味とは?」 「我ゆえにわれありではないか?」 「神は存在するのか?」 これらすべてに答えを出せる、すごい理論だ。 たとえば、「人間の生きる意味とは?」にたいしては、「生きる意味という言葉自体があいまいで、文化によって言葉の意味がコロコロ変わるからNG、単語の意味が確定してないの

    「それどういう意味?」→「定義は?」→「言語ゲームにより無意味」→「言語は文化が作るもの」→「それどういう意味?」
    hiruneya
    hiruneya 2013/07/24
    ツッコミの増田とあわせて実演してるのかと思ったけどなんだかやっぱりよくわかんないや
  • 一応突っ込んでおくと、「言語ゲーム」の用法が間違ってるよ。

    「哲学上の諸問題と言われるもののほとんど全ては、定義の問題に帰着する。」というのは、L.W.ヴィトゲンシュタインの「論理哲学論考」における中心的な主張。そして『言語ゲーム』というのは、そのヴィトゲンシュタインの作った言葉であり、論である。 そこまでは正しい。 だけど、「言語ゲーム論」というのは、「論理哲学論考」を書いたあと、「これで全ての疑問は解かれた」と宣言して田舎に引っ込んだヴィトゲンシュタインが(田舎で小学校教師をやっていた)、小学生とのふれあいの中から、自分の過去の論(すなわち「論理哲学論考」における思想)の欠陥に気づいて、その欠陥を説明するために作った論なのね。その後彼は、「哲学探究」というを出して、「論理哲学論考」が見落としていた問題について説明しようとした。それが成功したという人もいれば失敗したという人もいるが、このも20世紀哲学史に残る偉大な書であることは間違いない。

    一応突っ込んでおくと、「言語ゲーム」の用法が間違ってるよ。
  • 「伊藤計劃以後」?のSFについて

    尻P(野尻抱介) @nojiri_h "ここで岡和田が宮内悠介と比べるのは、野尻抱介『南極点のピアピア動画』"――ってあるけど、なんか悪い予感しかしないなー(^^; :最新刊『ポストヒューマニティーズ』よみどころ紹介(1/10) - 限界研blog http://t.co/p7mUM5u6nh 尻P(野尻抱介) @nojiri_h なんかこの人たちって伊藤計劃が大好きらしいんだが、私は未読なので影響受けてないし、それゆえポスト伊藤計劃ってパラダイムからも蚊帳の外だと思う。 尻P(野尻抱介) @nojiri_h そもそも言及されている他の作品は文学だけど、私のはプレゼンみたいなもんだから、深読みとかできないし。一回読めば一通りしかない解釈がはっきりわかるので、文学評論にならない。文学というやつはもっとわかりにくくて多義性がないと遊べないんだよな。

    「伊藤計劃以後」?のSFについて