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ブックマーク / www.h-yamaguchi.net (2)

  • オウム事件から学ぶべきこと - H-Yamaguchi.net

    昨日、2年ぶりにオウム真理教関連の裁判が開かれた。1995年2月の目黒公証役場監禁致死事件に関連してオウム元幹部平田信被告が逮捕監禁などの罪に問われているものだ。 「平田被告、拉致共謀を一部否認 2年ぶりオウム裁判」(朝日新聞2014年1月16日) オウム関連裁判では初めての裁判員裁判であること、死刑囚が証人として出廷することなど、さまざまな意味で大きな注目が集まる裁判だが、2008年に始まった被害者参加制度により、被害者の長男にあたる男性が裁判に参加することも注目点の1つらしい。 「父の最期、知りたい 拉致された仮谷さんの長男、法廷に」(朝日新聞2014年1月16日) この件を報じていたテレ朝系「報道ステーション」をちら見してたら、「オウム事件を忘れるな、向き合え」みたいなことを言っていたので、では何を忘れてはならないのか、何に向き合わなければならないのか、少しだけ考えてみた。 事件に直

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  • 自分が「凡庸な悪人」かもしれないという自覚について - H-Yamaguchi.net

    手短に。2013年9月21日付朝日新聞「耕論」欄に「不良図書と呼ばれて」というのが出ていた。最近話題になった「はだしのゲン」問題について、デザイナーの高橋ヨシキさん、精神科医の斎藤環さんが論じているのだが、この中で「「臭いものにフタ」よほど有害」というタイトルがついた高橋ヨシキさんの主張が面白かった。 以下、一部引用。 「国民的」にみんなが無批判に乗っかっていく風潮と、そんなヌルい状況を揺さぶるような表現を「過激だ」といって排除したがる風潮はコインの裏表で、それを支えているのは、映画を、「泣いた」「笑った」ではなく、「泣けた」「笑えた」と評するタイプの人たちです。 彼らにとっての表現は、自分が気持よくなるためのツールでしかない。映画「美女と野獣」を見て「泣けた」とか言うわけですよ。だけど自分が、野獣を「殺せ」と取り囲む側の人間かもしれないということには想像が及ばない。 リンカーンの偉大

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