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ブックマーク / vergil.hateblo.jp (3)

  • 天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く

    特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 戦争終結は「もう一度戦果を挙げてから」(1945年2月)→東京大空襲、全国焦土化、沖縄戦 「海軍にはもう艦はないのか?」(1945年4月)→大和特攻、2時間で4千人戦死 沖縄をアメリカに売った「天皇メッセージ」(1947年9月) 戦争責任は「言葉のアヤ」、原爆投下は「やむを得ない」(1975年10月) こちらの記事へのコメントで要望を頂いた件、面白そうなのでやってみた。 昭和天皇裕仁のクソな「思し召し」と言えば、すぐ思い当たるのはつぎのようなものだろう。 特攻隊は「よくやった」(1944年10月)→特攻作戦続行・拡大 海軍特攻隊の生みの親と言われる大西瀧治郎は、必ずしも特攻作戦に積極的ではなく、これを「統率の外道」と呼び、こんなことまでしなければ戦えない状況になっていると知れば、天皇が戦争を止めてくれるだろうと期待していたと言

    天皇裕仁のワースト・オブ・クソ「思し召し」大会 - 読む・考える・書く
    hiruneya
    hiruneya 2018/08/18
  • 小学生の恐ろしい作文 - 読む・考える・書く

    子どもたちが関東大震災の体験を綴った「震災作文」 横浜の震災作文に描かれた朝鮮人虐殺 作文には朝鮮人への同情も虐殺への怒りも見えない 子どもたちが関東大震災の体験を綴った「震災作文」 「震災作文」というものがある。 関東大震災で被災地のただ中にあった小学校の子どもたちが、「そのとき」の思い出を書いた作文だ。壊滅状態となった横浜市の寿小、磯子小、南吉田第二小、東京では京橋小や横川小などの文集が残っている。 いずれにも、子どもの目から見た、被災当時の恐怖と混乱が生々しく記されている。 これらの作文の中に、当時「朝鮮人さわぎ」と呼ばれた虐殺事件が何度も出てくる[1]。 「朝鮮人さわぎ」とはいうが、騒ぎ回って人殺しを繰り返していたのは日人の官憲や自警団であり、朝鮮人たちは理由もわからず一方的に殺されていたのである。そうした状況は、次の作文(磯子小高等科1年男子)からも読み取れる。当然ながら、「不

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    hiruneya
    hiruneya 2014/11/04
    キツイ
  • ではそろそろ「君が代」が果たしてきたおぞましい役割を具体的に - 読む・考える・書く

    関連記事: 「君が代」とはどういう歌か 上記記事へのコメント Jackopoid 2014/01/16 11:44 「おぞましい役割」とは何ぞや。言を濁さず忌憚なく述べたまえ。 こういう要望もあるので、具体的に述べていくことにしよう。 「君が代」が国民に天皇崇拝意識を刷り込むための道具として徹底的に利用されたことは、上記記事でも説明した。 では、その結果としてどんなことが起こったか。 たとえば1945年3月10日、東京大空襲での出来事。[1][2] … 10日零時8分、一番機は探川区(江東区)木場二丁目、白河町に焼夷弾を投下、強風にあおられた火災は爆撃目標の中心を明示した。 零時10分、城東区北砂町が火災につつまれた。零時12分、所方面に焼夷弾が豪雨の如くそそぎ、下町一帯が火の海となった。まだ空襲警報のサイレンは鳴らない。 つづいて隅田川をこえた日橋、郷にも火の手があがった。 第一弾

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