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論理に関するhirusagariのブックマーク (3)

  • 数学屋のメガネ:「論理的」とはどういうことか - livedoor Blog(ブログ)

    論理というものに慣れていない人は、「論理的」という意味を勘違いして使っているのではないかと思うときがしばしばある。日の学校教育では論理についての教育をしないので、論理を知らない人のほうが大部分だと思うが、論理というのは、基的に推論の部分を考察するのであって、結論が正しいかどうかを問うのではない。 結論が間違っていても論理的には正しいということはいくらでもありうるし、結論が正しくても論理的に間違っているということはいくらでもある。結論の正しさは論理の正しさに直結しない。だから、結論に対して賛成できなくても、その結論の導き方が、論理的ではないと決して言えないのである。 論理にとって大事なのは、ある前提を置いたときに、その前提のみから結論が導かれるかという整合性のほうであって、前提に何を置くかというのは、論理の問題ではないのである。それこそ前提に置かれる命題が党派性の強いものであれば、誰も賛

  • 数学屋のメガネ:「因果関係」は客観的属性ではなく主観的判断である - livedoor Blog(ブログ)

    瀬戸智子さんの「仮言命題の限界」というエントリーに書かれている「因果関係」というのも気になるものの一つだ。瀬戸さんは因果関係については詳しく語ってはいないが、これは仮言命題と深く関わっていると僕は理解している。 あまりはっきりとは覚えていないのだが、ヒュームは因果関係の存在を否定したと記憶している。これは、それを実体として存在すると考えるのなら、否定されるべきだろうと僕も思う。つまり、因果関係というものを物質の属性として捉えようとすると、そんなものは存在しないと言わないわけにはいかないだろうと思う。関係というのは実体ではない。あくまでも人間の認識の中に存在する、もののとらえ方の方を指す。だから、それが物質の客観的なあり方だと思ったら間違えるだろうと思う。 その意味で瀬戸さんが語る「原因が必然的に結果を引き起こすという関係は存在しない」という言い方は正しい。しかし、ある現象に関して仮言命題が

  • 数学屋のメガネ:誤読をしたくなる心理と仮言命題の理解 - livedoor Blog(ブログ)

    witigさんに「排便シグナルが読めて対処方法があればおむつは要らないか」というトラックバックを「必要条件と十分条件」というライブドアのエントリーにもらったのだが、これを読んでも、やはり内田さんの文章の文脈を誤読しているのではないかという印象は変わらない。 内田さんが語る「必要性」は、あくまでも「二歳までおむつをとる必要はありません」という言い方に関連して語られているものだと僕は文脈上の理解をしている。つまり、完全な形でおむつが必要でなくなるまではおむつをつけていてもいい、ということを「おむつが必要だ」という意味に理解し、完全になるまでの過渡期においてもおむつが必要でなくなることもあるよという主張として「おむつが必要ない」という内田さんの言い方を理解している。 問題は、子どもが自立と依存の中間点にいるときに、依存しつつ自立するという状態を作るために、排泄のシグナルを読みとろうという発想をし

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