実際にはそういうやり取りをする人も、帰れの意味でこう言いなさい、という決まりもないです。 それは京都人の、言葉の裏の裏を読み合う会話の揶揄として「例題」のように作られた話であって、 日常的に本当に存在しているものではありません。 で、「例題」の解説ですが、「上がって」がある場合は、玄関先でのやりとりですね。 ちょっと通りかかったので挨拶だけ、と言って玄関先で客が話を始めた時、 挨拶はわかったからそろそろ切り上げて帰ってほしい、お義理で顔を見せただけのわりに話が長い、と思ったところで、 逆に「上がっていってください」と逆のことを言うわけです。 これで客は、自分が上がるほどの用で来たのではないことを互いに知っていながら 主人が敢えて「上がれ」と言う意味を悟るのです。 「ぶぶ漬け(お茶漬け)でも」はそのダメ押しですね。 その程度の用事なら、上がるまでもないでしょう? まして茶漬けをよばれるほど手
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