2008年5月12日のブックマーク (2件)

  • 日本記号学会第28回大会「遍在するフィクショナリティ」 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)

    記号学会第28回大会 遍在するフィクショナリティ 期日: 2008年5月10日(土) ,11日(日) 会場: 京都大学文学部 (京都市左京区吉田町) 5月10日(土) 14:30‐17:30 シンポジウム・「すべての女子は《腐》をめざす─BLとフィクショナリティーの現在」 http://www.jassweb.jp/2008/04/post_8.html なんかすごいシンポジウムだった。参加料1500円を払って参加したのに、「オヤジ(たち)の猥談」を延々聞かされた。あ、ありえねー。別に目ざさなくたって、このシンポジウムは十二分に腐っていた。悲惨。 真面目に書くと、セクシュアリティについて論じられている、基的な主題についてすら、踏まえられていないトークが続いたという、あまりにもレベルの低いシンポジウムだった。クィアのクの字が登場するどころか、無頓着に「普通」という言葉が飛び交う。私か

    日本記号学会第28回大会「遍在するフィクショナリティ」 - キリンが逆立ちしたピアス(ブログ版)
    hituzinosanpo
    hituzinosanpo 2008/05/12
    要チェック。
  • コミュニケーションと身体性: かげうらきょうのブログ

    私が一番関心のある問題を形式化し、存立構造をモデル化して説明を与えようとすると、「人間」(フーコーの言う)以前のところで最低限の身体的な制約を与える必要がある。 このことには数年前から気づいていたのだが、まさにそれが大きな理由の一つとなって、自分の一番重要な問題については書くことを避ける状況が続いていた。 身体性の制約を理論に取り込むのがこれほどまでに嫌なのはなぜだろう。この点については、自分が問題を意識し言語化して考え始めた1980年代の時代性という点からも考えていたが、『言語』2008年6月号「コミュニケーションの身体性」特集で、神尾陽子氏の「身体性なきコミュニケーション」を読んで、大きな理由がはっきりわかった。 内容的にはそれはそれとして興味深い記事なのだが、例えば次のようなところ(ちなみにこれは要約引用的位置づけの文である): 通常の会話では、コミュニケーションは言語的要素よりもむ